台湾が尖閣を巡りかしましいです。
12日付藍派保守系『聯合新聞網』の記事に次のようにありました。
実は、釣魚台の主権論争は、台日は主に経済海域についての主張が異なっていて、このような場合には国際海洋法の規定では、両者が話し合い、協議し解決するとある。もしこれが出来なければ、国際海洋法廷に仲裁を申請することができる。しかし我が国は、国連組織の枠組みの中では、根本的に当事者資格に欠けており、日本は我々に対して国家承認を行使していないので、釣魚台論争を国際法によって解決するのは非常に難しい。
聯合新聞網「保釣 馬英九曾説「不惜一戰」」
「で、どーすんだ?かつて「一戦も辞さず」って言ったよな。馬のお手並み拝見」と、この記事は煽っておりました。
漁業権問題で主導権をとりたいという思惑があったりするのでしょうが、煽り煽られヒートアップしているようで、巡視艇を引き連れて領海侵犯をやらかす始末。ワーワーやる前に、まずはてめーら自身の国体を何とかしろよ。・・・という話へ持って行きたい方面なども一緒になって煽っている様子。
が日本にとってはいい迷惑で、尖閣を第二の竹島にしないよう粛々と主権を行使していただきたいものです。
で大陸の方ですが、「釣魚島」が百度で検索できません。ですが今回の騒動を全く報じていないわけではなく、台湾メディアの転載程度ですが動きを逐一報じていました。そして、16日になり新華社傘下の『国際先駆導報』が、馬英九の尖閣問題への固執などを詳しく記した長文記事を1面に掲載しております。
- 国際先駆導報「台湾重燃保釣熱火」
ちなみに沈没事件発生後、『人民日報』、『人民日報(海外版)』、『中国青年報』では、一連の動きを報じる記事はなかったはずです(見落としているかもしれませんが)。その代わりに、中台会談を通じて中台接近を連日大きく取り上げ、「中華民族」、「中華文化」とかしましいです。
百度で検索できない動きと今回の騒動の報道姿勢との間にギャップがあって、何やら不穏な空気を感じなくもないでが、いかんせん、最近記事漁りをする時間がなかなか工面できず、全体像がよくわかりません。
そんな中、「尖閣問題は日本の東シナ海への野心に由来する」と題された長文論評記事を見つけたので端折り気味に紹介してみます。中共の尖閣に対する理屈はこうです。
6月10日中国台湾の一隻の漁船が釣魚島海域で日本の巡視船と衝突後沈没した。釣魚島、これは中国に属し日本が強制的に占領している”小島”で、この瞬間に中国大陸、中国台湾、日本の2つの国家3つの地域の注目の的となった。。
では、釣魚島問題とは一体どういうものなのだろう?日本は、どうしてわざわざ釣魚島の主権を掠め採ったのだろうか?見てみよう。
一、釣魚島は我が国古来の領土だ
釣魚島列島は、釣魚島、黄尾島、赤尾島、南小島、北小島、大南小島、大北小島、飛瀬島などの島嶼からなっており、総面積はおよそ7平方キロで、中国東シナ海大陸棚の東の端で、距離は我が国台湾の基隆市の東北およそ92海里に位置している。東西の距離はそれぞれ中国大陸と日本の沖縄までおよそ200海里で、島嶼付付近の水深は100〜150メートルだ。1964年に発行した「大陸棚公約」と1982年に可決された「海洋法公約」の関連条項を見ると、釣魚島などの島嶼と中国台湾省は同一の地質構造ということになる。釣魚島と中国台湾、澎湖、舟山群島は、1つの自然に伸びている大陸棚の上にあり、日本の管轄下にある琉球諸島とは2,000メートルの深海溝によって隔てられている。国際法の「大陸棚公約」の”1つの大陸棚の上の島嶼はこれを領有している国に帰する”の原則から、我が国は東シナ海の大陸棚の全ての主権を有しているので、自然と大陸棚の上にある釣魚島などの島嶼の領土の主権も享有していることになるのだ。
古来から、中国台湾、福建などの省の人民は、常に釣魚島周辺海域や島で漁をしたり、薬草などを採ったりと生産活動を行ってきた。明朝のはじめから、釣魚島列島は中国ンお版図に属していたのだ。永楽年間(西暦1403〜1424年)に出版された『順風相関』という本の中に釣魚島列島に関する記載がある。日本では、1783年と1785年に出版された琉球王国の辺境の地図に、釣魚島列島は中国に属すると記されている。19世紀末に日清戦争が勃発するまで、日本は中国が釣魚島列島の主権を擁していることに対して異議を申し立てたことはなかった。1895年4月、中国清政府は、日清戦争の失敗のために、日本と国辱的な「下関条約」を署名させられることとなり、台湾全島およびその所有する各島嶼と澎湖列島を日本に割譲し、これを以って日本は”尖閣諸島”(即ち釣魚島などの島嶼)と呼ぶようになり、これより前は、日本の地図のでは常に中国の名称である釣魚島列島と記されていたのだ。
日本は、第二次大戦敗戦後アメリカに占領された。「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」に照らし、日本は台湾およびその付属の島嶼である釣魚島列島などを中国に当然返す。しかし1951年、米日は戦勝国であった中国を裏切り、不法に「サンフランシスコ条約」を締結した。平和条約の第二条には、依然として日本は台湾および澎湖列島の一切の権利、権利名義の要求を放棄すると明記されていたが、ところが第三条は間違っていて、日本が掠め取った釣魚島などの島嶼はアメリカ感覚の沖縄管区内に帰属するとなった。これに対して、中国の総理・周恩来は当時、中国政府は決して「サンフランシスコ条約」を承認しないと厳正な声明を発した。その後、中国政府は1958年に発表した領海に関する声明の中で、日本が掠め取った中国の領土、「台湾およびその周辺島嶼を含む全ての中華人民共和国の領土に適用する」と宣言した。釣魚島列島が沖縄と共にアメリカに信託統治されてから、米軍は釣魚列島を制御し、射撃場を建設した。1971年、日米が「沖縄返還協定」に調印し、アメリカから沖縄が日本に返還されたとき、釣魚島も日本に返還された。これに対して、当時の中国政府は日米両国政府に強烈な抗議を提出している。
(中略)1972年中日国交正常化と1978年の「中日平和友好条約」締結時に、中日両国政府はこの論争をわざと避け、外交文書の中にはこの敏感な問題には一切触れなかった。しかし、指導者の談話の方式で発表することでこの問題に踏み込んでいた。例えば、トウ小平が1978年に訪日した際に、釣魚島問題は後世の解決を待とうと述べている。そこで、双方がしばらくの間、釣魚島の主権争いを放置し、解決を後回しにし、同時に中国は中日共同で釣魚島を開発しようという主張を提出した。
(ズバット後略:ところが日本の右翼が灯台を建設しナショナリズムを煽り・・・云々カンヌン)
中国網「釣魚島問題的由来和日本対東海的野心(1)」
あれ?尖閣諸島が日本領だと認めてるじゃんw
「サンフランシスコ条約は無効アル!」ということなのかな。苦しいなぁ。
最後に日本の尖閣諸島に対する基本見解をば。
尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです。
同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていません。
従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれています。以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものです。
なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものです。
また、従来中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点はいずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえません。
外務省「尖閣諸島の領有権についての基本見解」
「固有の領土だという主張は領有権争いの場では無意味。国際法違反だと訴えないといけない」とは、麻生さんの言葉だったかな。
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