スポーツ絡みでテニスの話を少し。
錦織選手、いや〜、素晴らしい試合でした。ウインブルドンでの伊達VSグラフ以来の興奮を味わいました。まだまだ楽しみが始まったばかりだということが、いちテニスファンとして嬉しい限りです。
錦織選手の試合も素晴らしかったのですが、同様に素晴らしいと思ったのは、お客さんの反応。それぞれにひいきの選手がいるのでしょうが、試合が進むごとに両者の素晴らしいプレーに対してスタンディングで惜しみない拍手と歓声を送る。これですよ。これぞホスト国。
表題の件。テニスを絡めようと無理からスポーツの話題にした感は否めないw
大幅に”挙国体制”の範囲を縮小し、スポーツ界における国家による占有の局面を終了させることは、同時に商業スポーツを推進し、スポーツ産業を振興し、市場においてスポーツの隆盛の基礎とならしめるのだ
2008年北京オリンピックが、2つの巨大な喜びと共に幕を閉じた。ホスト国として成功したという喜びともうひとつ、”金メダル獲得”の喜びがある。51の金メダルの獲得は、前回のアテネ五輪に比べ6割増、8年前のシドニー五輪からは倍近くということとなった。
これにより、多くの金メダルを獲得したことは、スポーツにおける”挙国体制”が非常に有効であったことを証明し、中国のスポーツは引き続き”挙国体制”という旗を高く掲げ続けなければならないと多くに人が言う。私達は、これに同意しかねる。今回の金メダルの宴が終わり深く思ったのは、中国は”挙国体制”に別れを告げ、スポーツ界の全面的な改革を始動しなければならないとだ。これは、中国のスポーツ産業と全国民の健康活動が栄えることと関係していて、中国のスポーツ産業の持続的発展に関係し、中国の政治、経済と社会体制の改革というあらゆる事柄と密生綱関係があるのだ。
スポーツ界は、中国の変革の範囲から孤立した孤島ではない。スポーツ改革は、先送りにすることも待ったもなしなのだ!
中国人が、オリンピックで多くの金メダルを獲得したことは名誉なことで、大変興奮し、これによって民族の精神が奮起し、中国はスポーツ大国として、世界の強国としてのプライドを増やしたことは大変意義あることだということを否定する人はいない。しかし、金メダルにもコストがかかっているのだ。中国のスポーツは、絶えず伝統的な計画経済構造の"挙国体制"で実行されており、つまり、金メダルに主に人々の税金が投入されていて、国家の資源に依存しているのだ。しかしながら、政府は、金メダルプロジェクトにどのぐらいのコストが関わったのか一切公表せず、メディアが金メダルのコストについての試算も、6、7,000万元から7億元までバラバラで、この試算を証明するこなどできるはずもないが、現代スポーツの競争は熾烈で、中国は”オリンピック増光プロジェクト”の実現に長年多くを消耗し、今回の北京オリンピックで手にした51の金メダルの価格は更に高くなっていることは、語論の余地のないところだ。絶対的多数の競技において、テレビの前で金メダルに興奮している一般民衆は、金メダルのために払われたこれらの代価について何も知らないのだ。
更にいえば、投入と産品とが釣り合いが取れてないのだ。”挙国体制”は、何重にも選抜され、閉鎖空間でスポーツの専門家に培養され、大量の資金を占有しているが、大衆スポーツの形成を牽引するような力はないのだ。国家が培養した金メダル選手たちは、各種商品のイメージを代表するようになるが、巨額な現金収益は、殆どがスポーツ選手個人とその選手のスタッフ、所属機関、あるいは”利益を山分けする”機会を有する者の手に落ち、ほんの一部は将来の訓練を補充する資金となるが、経済的に出資者に帰ってくる可能性はゼロに近い。金メダル獲得の主要な収益は、広範な人々の興奮と賞賛になり、金メダルがもたらした興奮はいずれ低下するのは必然で、残念ながら限界収益の急激な低下を招く。
中国は、まさに成長方式の転換期の重要な時期に来ており、サービス業の発展と内需市場の始動は、スポーツ産業の勃興を必要としている。しかし、”挙国体制”という独占体制は、スポーツの主要な資源を占拠し、商業スポーツの発展の道を阻害し、スポーツ産業の成長を厳しく抑制している。バレーボール、バスケットボール、テニス、これらは本来演出製が非常に強いスポーツ種目だが、その商業価値は殆ど開発されていない。半官半民という”挙国体制”で独自に道を歩んでいるサッカーは、そのむちゃくちゃな制度が哀れみを誘い、笑いの種に成り下がっることしかできない。
スポーツの”挙国体制”は、経済界における計画体制のようなもので、もはやその弊害は重なり、効率は低下し、計画を捨てることを市場が選んでいるという状況だ。この改革をズルズルと長引かせている困難は多々だが、主なものは”金メダルの心配”だ。”挙国体制”は、短期的に見れば金メダル獲得には有効な手段だとずっと見られてきていたために、”挙国体制”を改革することは短期的に金メダルを失うかもしれないということなのだ。しかし、北京オリンピックの洗礼を受け、51の金メダルを手に入れ、人々の金メダルへのコンプレックスは大きく解放された今、制度のレベルアップに注目するときなのだ。改革のコストが下がっているだけでなく、改革の時期もすでに完全に熟しており、改革の圧力は増大しているのだ。
当然、改革には策略が必要だ。国有スポーツの構造は強大で固定化して久しい。”1度で成功”的な改革は不可能だ。比較的理性的な方法は、まず大幅に”挙国体制”の範囲を縮小し、スポーツ界の国有占有の局面を終了させ、同時に商業スポーツを推進し、スポーツ産業を振興し、市場システムをスポーツの隆盛の基礎とならしめるのだ。政府が主になすべきことは、金と力を全国民の健康と大衆スポーツの発展に用い、”挙国体制”から一歩進め、”大部制”的な政府機関の構造改革の潮流に合わせ、十数年前から阻害してきた政府のスポーツ部門の機能をモデルチェンジすることだ。
改革の過程は、中国のスポーツ文化の価値体系を再構築する過程にしなければならない。その重要なもののひとつは、冷静に金メダルの価値を評価し、スポーツを本来のものに戻さなければならない。私達は依然として、中国が将来の国際試合で、特に次回のロンドン五輪において好成績を収めることを望んでいるし、中国のスポーツ選手の素晴らしいパフォーマンスを歓呼する。しかし、金メダルの意義を誇張する必要はないし、政治化なんてもってのほかだ。すでに中華民族の劣等感は取り除かれ、絶えず金メダルの数の増加で自己を証明することは不要となった。ハッキルと言えることは、中国がスポーツと全国民がスポーツで手を携えれば、中国は”金メダル大国”から真のスポーツ強国へとなるということで、これは期待できることだ。
雑誌・財経「“挙国体制”淡出正其時」
金メダルに投資する源泉は「劣等感」なのですね。
ハードルの劉翔騒動のほかに、アメリカのバレーボールチームを率い中国代表を破った郎平監督を巡る騒動、テニスの中国代表選手がマナーのない観客に切れたことを巡る騒動などなど、様々な禍根を残した北京オリンピック。その余熱は、色々な形であちこちに未だに燻っているようです。
そんな中、官製メダリスト達が大名行列の如く大挙して香港を訪れ大歓迎されたとか。これも政府による重要な投資回収行事なのでしょうね。
実は、数日前に『WSJ(中文版)』に上記と同じような感じで、商業スポーツ市場開拓に奮闘するナイキとアディダスを取り上げた記事がありました。その中でも、中国では「競技スポーツが極一部の選抜されたエリートのもの」という意識が非常に強く、スポーツが広く一般に普及していないのだ、とありました。劉翔や姚明など有名選手に投資しても、中国内でそれを十分に回収できるだけのスポーツ市場が形成されていないのだとか。
劉翔がめちゃくちゃに叩かれている背景には、スポーツ選手を「官に近い」=「うまい汁を吸っている輩」≒「腐敗役人」と見なされているということもあるのでしょうね。まっ、彼の場合、普段から態度が横柄だったというのが一番の理由ぽいけどw


