表題に特に意味はなく、「ネタにマジレスかっこわるい@中国式民主」に軽く引っ掛けているだけです。
少し前のものになりますが、11月10日付『南方都市報』が”中国式民主”についての論評記事を掲載していたので紹介してみようと思います。元々の記事は11月7日に『人民政協報』に掲載された記事を『南方都市報』が一部抜粋し短くしたものです。
改革開放からもうすぐ30年。経済発展は非常に目覚しく、政治発展も多くを成し遂げているが、しかしながら、総じて言えば、我々の行政管理体制、社会管理体制、民主法治建設は、どれも更に改善しなければならない。人民群衆の生活が良くなるにつれて、民主政治の必要性が強烈になってきており、現実的な発展のためには民主政治の更なる発展の推進が迫られている。
現在を含め、我々は民主に対して絶えず偏見を抱いてきた。私は、一介の政治学の研究者であり、これらの偏見を正し、民主の推進は相当困難であるといった共通認識ではなく、社会においてある種の共通認識に達するよう最大限、求めていくことが己に課せられた責任であると感じている。私は、民主問題において、我々は最低限度の共通認識、すなわち民主的、富強的、文明的、和諧的な近代化強国を建設するということは、中華民族の偉大な大復興の実現には避けては通れない道であるという共通認識ぐらいは持たなければならないと思っている。民主法治は国家を繁栄させ、人々を幸せにし、社会の安定の為の最上の方法なのだということだ。
ある種の偏見とは、民主とは西側の、アメリカの民主などと同じで、民主は三権分立、多党制を意味していると思っていることだ。このような偏見は今なお市場に存在している。数日前に私がネット上で、民主に反対する視点で綴られた一篇の大変はやっている文章を見てみた。そこには、反対の理由は西側の政治体制を導入することとなるからだとあった。私が見た文章は、中国は民主をやらない方がいいことが多いぜ、中国は民主じゃないから、こんなに早く発展しているし、こんなに社会が安定しているんだよ、民主を行った他の国、例えばフィリピンやタイなんて不安定じゃん、と綴ってあった。実は、彼の前提自身に誤りがあって、一見、彼は大変な”左”のようだが、実は大変な”右”であって、昔の政治用語で言うところの”左の形をした右”である。なぜなら、彼は我々中国が現在歩んでいる民主の道を否定しているからである。
中国は2千年にも及ぶ人治という伝統を有している国家であるので、我々の伝統的政治文化の中に、法治や民主といった要素に乏しいのだ。建国後、我々の民主に対する理解は、様々な偏見があって、そのため、改革開放以来、党中央は一貫して民主を強調し、法治国家建設の必要性を強調してきたが、これは長い行程なのだ。この行程において、人治は依然として重要な作用を発揮している。民主とは分権を意味しているために、一部の人が民主に対して敏感なのだ。
しかしながら、私自身の民主に対する見方は、論述や分析を畏れず、大変な潜在力をも有している。大げさに言うならば、”私心がないので畏れていない”ということで、私が民主を叫ぶのは、民主が中華民族を幸せにし、中国人民を幸せにするという思い以外に何の私欲もない。いくつか具体的に言うと、このような潜在力には4つの方面からのもので、ひとつはマルクス・レーニン主義の民主観、中国共産党が長きに渡り追求しているもの、人民群衆が現実的に要求しているもの、そして世界の歴史的潮流のものの4つだ。その中でも改革開放以来、我が党は民主政治を追求しているところから来ている。革命党から執政党と変わり、実質的な目標が、党の直接的な目標が政権奪取から政権の維持に変わったことは、あらゆる面における政党のモデルチェンジする過程において、党の社会的基盤、組織構造、指導方式、政策方針、戦略策略、工作方法、イデオロギー形成などあらゆる方面の重大な変化に及んでいる。イデオロギー、すなわち政治的理念の変遷は、中国の政治的発展の方向と効果とを導いている。中国は古来より、イデオロギーを重視する国家で、イデオロギーの変化は常に中国の政治改革のさきがけとなってきた。中国の30年の改革という事実は、十分にこれを証明しており、思想観念の変革と社会政治の進歩とは、極めて密接な関係を有しているのだ。
人権、法治、統治、素晴らしい社会システム、立憲政治、合法性、人を基本とする、公民社会、和諧社会、政治的文明、透明な政府、奉仕する政府、責任ある政府などの様々な新たな観念や新たな価値観が、伝統的な政治思想を超越することが、最も直接的で深く改革開放後の中国の社会、政治、生活に影響を与えたもので、中国の民主政治の進歩を推進する力となっているものなのだ。これらの政治的観念は、これまで軽視されてきたもので、過去に資本主義イデオロギーとされ批判されてきたもので、いくつかは改革開放後に西側から学んで参考にしたものでもある。いくつかの観念は、中国の伝統的思想に源となっていて、またマルクス・レーニン主義理論、あるいは西側の政治思想が源で、これらは深く、自由、平等、正義、和諧などの人類社会の核心的価値観を体現しているが、すべて中国共産党人が追求してきた価値観をも深く体現したものでもあるのだ。現在、国家の指導者の講話の中だけでなく、中央の文書の中でも民主を強調していて、温家宝自らが『人民日報』に発表した文書でも、民主、人権、自由、尊厳、これらの価値観は西側資本主義の特許ではなく人類共通の価値観の追求であると述べている。十七大は、人民民主は社会主義の生命であり、十七大二中全会で胡錦濤総書記は、中国の特色ある社会主義政治の発展について長い講話を行い、講和の中で3つの非常に重要な問題があると語り、第一の問題は、”我々は人民民主の御旗を更に高く掲げなければならない”と講話した。明らかに、我々は民主について語ることをタブー視していけないということだ。
(原典は11月7日『人民政協報』、作者:中共中央編訳局副局長・兪可平、取材、張淑君、舒暁南、本紙による一部割愛あり)
南方都市報「譲民主造福中国」
「”中国式民主”とは法治のことである」ということでしょうか。
記事中にもあるように、中南海はことあるごとに「民主を」と叫んでおります。つい先日も、中南海で温家宝が主宰した経済関連の座談会の席上でも温家宝が、現在の困窮している経済状況の中で政策決定において「更なる科学的民主採決を、更なる採決の透明化を、更なる民主的な監督による採決をなさねばならぬ」などと述べておりました。
うまく行かない言い訳に「更なる民主を」と叫んでいるだけであることは、当の中国人たちが一番知っております。できない理由に「民主」をあげつつも「民主」を一向に深めようという具体的な動きがない。重大な党大会、会議が終わり、民主化(政治改革)へのプロセスが何も示されないたびに、香港紙が「またダメだった」とため息交じりに形ばかりの論評をしております。
今回紹介した記事は、「民主」について中国内での捉え方を知る上でなかなか興味深いものではないでしょうか。「民主」という見えない敵と戦っている中国の姿が見えるようです。





