軍部の伸張なのか、危機感なのか (文革正史)<上>

2009年01月06日

12月27日付『産経新聞』に中国総局局長・伊藤正氏による興味深いコラムが掲載されていました。

今月3日付の中国人民解放軍機関紙「解放軍報」は1ページをつぶし、軍長老の遅浩田・前中央軍事委副主席兼国防相の回想記を掲載した。その数日後、軍事系など複数の中国国内のサイトに、遅浩田氏名の「発言」が相次いで現れた。

この発言は、2005年4月の中央軍事委拡大会議での講演とされ、内容の一部は当時、海外に流出したが、偽造説もあった。台湾武力解放のみか、米国打倒と日本殲滅(せんめつ)を主張、核使用さえ肯定する過激な内容で、退任(03年)後の発言とはいえ、荒唐無稽(むけい)すぎるとみられたからだ。

しかし、消息筋によると、発言は本物であり、各サイトから削除もされていない。遅氏がこの発言をした当時、各地で反日デモが吹き荒れ、陳水扁総統ら台湾独立派への非難が高潮していた。劉亜州、朱成虎将軍らの強硬論が跋扈(ばっこ)し、朱将軍は対米核攻撃の可能性さえ、公然と唱えていた。

彼らの主張は、遅浩田氏のそれと同工異曲だった。そのポイントは、胡錦濤政権の「平和と発展」戦略に対する批判である。同戦略は1984年にトウ小平氏が唱え、87年の第13回党大会以来、継承されてきた党の基本路線であり、基本的な世界認識である。

しかし遅浩田氏は、同戦略はいまや限界に達し「完全な誤り、有害な学説」と一蹴する。なぜなら一国の発展は他国の脅威になるのが古来、歴史の法則であり、「戦争権抜きの発展権はありえない」からだ。

(中略)

こうした胡錦濤政権の対外路線と真っ向から対立する主張が、なぜいま、軍事系や民族系のネットに再登場し、多くの支持を得ているのだろうか。

遅浩田氏が当面の急務に挙げているのは、「三島」問題だ。台湾、尖閣諸島、南海諸島を指す。講演当時は台湾解放に最重点が置かれたが、最近の台湾情勢の変化で、武力解放の可能性が遠のいた。

海洋権益の拡大に努める中国海軍の当面の戦略目標は、東シナ海にあると西側専門家は指摘する。04年には中国原潜が石垣島周辺で日本領海を侵犯する事件があったが、今月8日には中国の調査船が尖閣諸島海域を侵犯したのもその表れだ。

前者については中国政府は遺憾の意を表明したが、後者については中国固有の領土と強弁した。しかし中国の対日友好協力路線とは相いれない行動であり、中国政府の指示ないし容認があったとは思えない。

遅浩田講演がいまネット上に公開された背後には、国防力強大化を追求する軍の強い意思があると専門家筋はみる。遅浩田氏は現役時代、航空母艦保有をはじめ、装備近代化を強く主張してきたタカ派として有名だった。

そしていま、中国海軍にとっては、飛躍への絶好の機会が訪れた。ソマリア沖への艦艇派遣である。中国の艦船が領海外へ戦闘目的で遠征するのは初めてだ。海賊退治の国際協力というお墨付きがあるものの、中国軍が本格的な空母艦隊を保持する大きなステップになるだろう。

遅浩田講演を紹介した文章は、同氏が、かつて日本に対処する特殊兵大隊を編成したが、平和な時代には不要として解散させられたとし、日米が絶えず中国を刺激する悪しき結果を招いたと述べている。中国軍が何を目指しているか、平和ボケしてはいられない。

MSN産経ニュース「【緯度経度】北京・伊藤正 発展には軍事力が必要

12月3日に『解放軍報』が掲載したという回想録をば。

内容は、トウ小平が推し進めた改革開放30周年記念にあわせ、文革直後のトウ小平の決定と30年の歩みとが、いかに正しいものであったかを謳いあげているものです。

ちなみに、この記事が掲載された5日後の12月8日に、例の尖閣諸島海域への中共当局による領海侵犯が行われました。

1976年10月6日、国家、国民の禍であった”四人組”が粉砕された。この日の晩の10時、中共中央政治局は、北京の西山で緊急会議を開催し、党と国家のいくつかの重大問題を決した。その中のひとつが、迅速に”四人組”の世論制御の大権を奪取するという決定だった。具体的な計画は、当時の中共中央対外連絡部部長の耿ヒョウが新華社と放送事務局の接収を、私と孫軼青同志が人民日報社の接収を、劉西尭が光明日報社の接収を請け負った。全ての行動は、政治局会議の開会と同時に実施される計画だった。当時、私は唐山地震救済指揮部副総指揮の任に当っており、地震の廃墟の上で緊張しながら部隊の地震救済を指揮していた。6日深夜、突然、私に北京に戻るようにという中央からの命令を受け取った。翌日の早朝、私は専用機で北京に戻り、直接中南海で任務を受け取った。西楼の会議室に入ると、私はそこで耿ヒョウ、劉西尭、孫軼青などを見た。耿ヒョウが、私が入ってくるのを見て、立ち上がり「あなたが浩田同志ですか?」と言い、私は「はい」と言った。彼は私の手を握り「良い知らせがある。”四人組”が逮捕された!」と興奮しながら述べ、腕を広げて私を抱きかかえようとした。私は、長年外交工作に従事してきた老同志のように西側の礼節に慣れていなかったが、少しも躊躇することなく両腕を開いて、彼とソファーの上で抱き合い、そのままソファーの上から絨毯の上まで転がったのだ。その場に居合わせた人々に感情が感染し、一緒になって勝利を喜び合った。”四人組”は散々悪事を働き、悪い事をやり尽くし、”四人組”を粉砕することは、中国人民の第二次解放だったのだ。私たちは当時、神州大地が天を覆さんばかりの変化が訪れ、中華民族の命運を決する大転換が間もなく到来するだろうと全員が予感したのだ!

この時、当時の中央政治局委員、北京軍区政治委員会であった紀登奎が入ってきて、彼は中央を代表して私に「浩田同志、あなたを震災救済の前線から呼び戻したのは、あなたに『人民日報』に行って、”四人組”の手中にある権力を奪取せよ。中央は、あなたが最も適切な人間であると考えている」と任務を命じた。

『人民日報』は、党中央の機関紙で、また”四人組”の破壊を受けた重被災地域でもあった。10年の内乱で、張春橋、姚文元およびその腹心らは、この陣地を利用し、連綿と是非を混同し、黒白を転倒させた文章を発表し、党の世論を生み出す権力を奪うために、党機関紙のイメージを深刻に傷つけ、極めて悪い影響を生み出していたのだ。ここが際、『人民日報』の制御権の奪取は、一刻の猶予もなかった。私は、すぐに指名の影響と責任の重大さを感じ、「断固任務を完遂す!」と断固として述べた。

”四人組”が粉砕されるまでには、厳格な極秘段階があって、私は直ぐに進駐すると提案した。軍事技術用語で、兵は神速を尊ぶといい、直ぐに陣地占領を強行した。

順調に工作を展開するために、中央は華国鋒の名義で一通の手紙を人民日報社の責任者宛てに書いた。その大意は、『人民日報』の工作を強化するために、中央は遅浩田などの同志を核心グループの指導者にすることと決定し、重要な事情は、彼らに報告しなければならない、といったものだった。

7日の晩8時ごろ、私と孫軼青らは、人民日報社に進駐した。報社に到着してから、我々は、直ぐに報社の核心グループの構成員を招集し会議開き、”四人組”が粉砕されたというニュースを伝え、一致協力して『人民日報』を良いものとしようと要求した。同時に、”四人組”の『人民日報』における腹心に、言うことを聞き、小細工をするなと警告した。

”四人組”の人民日報社への侵食の手は非常に深かったが、彼らはめちゃくちゃな行いだったので、全く人心を得ることができず、報社の多くの同志は主導的に我々の側につき、この状況を反映し、”四人組”およびその腹心の様々な悪行を暴露した。我々は団結し群衆を頼りにし、非常に素早く『人民日報』という世論の陣地を奪い返したのだ。

全国が”四人組”の摘発に協力するために、我々は組織し一連の文章を発表した。12月17日、『人民日報』は『滅亡前の狂気――”四人組”の”臨終間際”偽造の大陰謀を暴露する』という編纂部の文章が、一般的な事実である”四人組”が、いわゆる毛主席の”臨終の際の付託”を偽造し、党と国家の最高指導権を簒奪したという陰謀を暴いたのだ。

”四人組”を批判する中で、報社同志は、”四人組”の天安門広場での事件における陰謀計画を暴露した。1976年の清明節前後に、天安門広場に周恩来総理を追悼しようと自発的に集まった多くの群衆が、”四人組”を糾弾した。この正義の行動が、”四人組”の怒りに触れ、彼らは人民日報社の腹心に、嘘をでっち上げ、事実を歪曲し、天安門広場の哀悼活動を反革命事件にするよう命じたのだ。人民日報社のその責任者たちは、”四人組”の意図を汲み取り、何本かの『情況匯編清様』を突発的に発行し、いくつかの重大な節目で歪曲改竄を行った。姚文元は、これらの下書きを行い、また加工修正を行い、そして『情況匯編(特刊)』と記し、中央政治局に送り、党中央と毛主席を欺き、そしてトウ小平同志の党内外の一切の職務を奪い取ったのだ。4月8日、『人民日報』の第一面に掲載された『天安門広場の反革命政治事件』の一文は、上述の材料によって捏造されたものだ。

群衆の指摘を私は重視し、我々は直ちに組織し、報社の関連部門に緊迫した身辺調査を行い、速やかに報社と”天安門事件”に関係のある人物と出来事、そして『”四人組”の天安門事件における陰謀活動』に記されている材料を精査し、私と孫軼青の名義で、12月10日に中央に、”天安門事件”を徹底的に名誉回復するのに有力な証拠となるものを中央に報告した。

解放軍報「憶大転折中的几件事

私が中国に深く興味を抱くようになったのは「文革」との出会いだったりします。ということもあって訳出。

軍部の伸張なのか、危機感なのか (文革正史)<中>」に続く。

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posted by タソガレ at 23:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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