「軍部の伸張なのか、危機感なのか (文革正史)<中>」の続き。
1978年10月、北京社会にひとつの誤った風潮が現われた。矛先が直接、党指導者、社会主義制度、プロレタリア独裁、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想に向けられたのだ。
この風潮は扇動的なものであって、思想解放の旗の下に打ち出されたもので、一部の人々の心理を迎合し、多くの人々を惑わし欺いた。この逆流は非常に深刻なもので、10年の動乱が残したいくつかの社会問題を党に向けて、混乱を生み出そうと企んだものだったのだ。混乱が大きくなれば、共産党与党の基礎が動揺し、共和国というビルが一気に瓦解し、まさにスタートしたばかりであった4つの近代化が中断する可能性があった。しかし、この問題の深刻性を多くの人は全く意識していなかった。
一発触発。上海、広州、武漢などの都市でもよく似た狂気的な社会風潮が出現した。これに呼応して、各地にいくつもの不法組織や不法活動も出現した。
このような情況は、トウ小平ら第一世代の革命家たちの高度な警戒心を引き起こした。彼は我々に対して、この種の風潮は非常に恐ろしく、大変危険で、決して自由に氾濫させてはならないと述べた。彼は、我々に任務を配置し、事態の進展の変化について密接に注意を払い、情況を直ぐに報告するように求めた。小平同志の要求に応じて、我々は人員を多方面に派遣し情況を収集し、直ぐに特定情報を整理し、中央に送付した。
当時の中国は、大変な変革の重要な時期にあり、様々な風潮が次々と現われ、様々な勢力が次々と登場した。中国は一体どこへ向かい、どんな道を歩むのか?中国共産党は、非常に難しい選択と厳しい試練に直面していた。非常に明らかだったことは、思想を解放しなければならないが、またマルクス・レーニン主義をも堅持しなければならない、経済を活性化させなければならないが、社会主義の道から離れることはできない、発展しなければならないが、安定も必要だということだった。これは、共産党人の智慧と執政能力に対する極めて大きな試練だった。この複雑な関係を処理する中で、最も重要なことは、科学的に毛沢東同志の歴史的功績を評価し、毛沢東思想の歴史的地位を確立し、同時に毛沢東同志の誤りを正し、毛沢東思想を堅持、発展させることだった。”お風呂の水を棄てるときに子供も一緒に棄ててしまった”という比喩で形容できる。この問題をうまく解決できなければ、我々は、ソ連がスターリンを全否定した前例を繰り返し、最後にはソ連共産党が瓦解し、ソ連が崩壊した轍を踏むところだったのだ。
この時、トウ小平、陳雲、黄克誠らに代表される第一世代のプロレタリア革命家たちは、引き下がることはなかった。トウ小平は、1978年末の中央工作会議の席上で「毛主席がいなければ新中国はなかった」、「毛沢東思想が無ければ、今日の中国共産党はない」と指摘した。更に、毛主席は「何度かの危機の中において党と国家とを救った。毛主席がいなければ、少なくとも我々中国人民は、未だに暗闇の中で更に長い時間模索しなければならなかっただろう」とも述べた。彼は、毛沢東同志が犯した誤りと毛沢東思想とは明確に区分して把握しないといけないと主張した。陳雲は「毛主席の最も偉大な功績は、我々を含む第一世代の人々を育て上げたことで、毛主席の威信は過去の長きに渡る革命闘争を実践したことによって打ち立てられたものである」と述べた。名誉回復し仕事に復帰したばかりの黄克誠大将は、毛主席の旗幟をなくすことはできないとし「これは根本的な問題である」と何度も述べた。1959年の廬山会議、黄克誠は”反党集団”の構成員とされ、18年の長きにわたり迫害を受けた。しかしながら、彼は仕事をしにきてから、一度も恨み言を言うことはなかった。毛主席と毛沢東思想の言論とを否定することに対しては、彼は中央規律委員会会議の席上で長編講話を行い、そして文章を発表し、毛沢東同志の歴史的功績を深く詳述し科学的に評価し毛沢東思想の歴史的地位の非常なる重要性とを確立させた。彼の広い心は、多くの人々を感動させ、多くの苦しみを耐え抜き、不当な扱いを受けた同志たちは、彼に学ぶようになり、党と国家の大局を重視した。第一世代の革命家たちのこの時の態度を思い出すと、安定大局にとって非常に重要な大黒柱のような働きを確実に行っていた。ソ連共産党は、指導者の評価問題と社会主義に対する態度問題において混乱が生じ、つまずき大きく転んだのだ。しかし、我々の党と国家は今日にも存在し、これは大きく広い度量で、忠信報国の第一世代のプロレタリア革命家のおかげである。
間違った風潮の発展と蔓延を制止するために、トウ小平は、1979年3月に理論工作分科会の席上、旗幟を鮮明にし、社会主義の道を堅持、プロレタリア独裁を堅持、共産党の指導を堅持、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想を堅持、この4つの基本的原則が必須であると述べた。彼は、それぞれの共産党員は、この根本的な立場において微動だりすることがあってはならないと要求した。この4つの基本原則の中でどれかひとつでも揺れ動くようなことがあれば、その動揺は社会主義事業全体を揺れ動かし、近代化建設事業全体を揺れ動かすこととなる。彼は更に、「4つの近代化が実現できるかどうかに、我が国の国家的命運と民族的命運とがかかっているのだ」、だからこそ4つの基本原則を堅持することは、4つの近代化の根本的な前提なのだとも述べた。
トウ小平のこの有名な演説は、党の「1つの忠信、2つの基本点」という基本路線の主要な内容を構成しているものだ。4つの基本原則とは、国の基であり、改革開放は強国への道であり、発展は鉄板の道理であり、安定は何より重要で、如何なる時も動揺することなく経済建設を中心となす。これは我々の党が、無数の挫折の中で総括した貴重な経験であり、その正確性は30年の実践を経て証明された。
トウ小平は、敏感に情勢の発展の変化を洞察し、物事が急激に変化する時には、果断に措置を施し、適切に2方面での闘争を展開し、即ち”左”からの干渉に反対し、また適切に根本的に共和国政権を転覆させる危険な右傾を制止するのだ。トウ小平は、この講話の後、情勢が急激に変化し、4つの基本原則を否定する間違った風潮は次第に鳴りを潜めた。1979年12月、北京市人民政府は、”西単壁”に大字報を貼ることを禁じると宣言した。1980年9月、第五期全人代第三回会議で、憲法で規定されていた公民の”大鳴、大放、大字報、大弁論”権利の条文を削除することを決定した。全国人民は、心をひとつにして4つの近代化を走り始め、安定団結した政治局面の最初を形成した。
30年前の偉大な転換の歴史過程を振り返ると、我々は改革開放の総設計士であるトウ小平同志を有していたことは非常なる喜びであり、我々が正しい道を選択したことも大いなる喜びであり、我々が科学的理論、即ち中国の特色ある社会主義理論の指導を有していることは非常なる喜びである。30年の改革開放の成果は得がたく、我々はより一層大切にしなければならない。中華民族の偉大な復興への道程は、更に幾世代もの人と幾十世代の人の努力と闘争とを必要としている。胡錦濤同志を総書記とする党中央の正確な指導の下、中国の特色ある社会主義という偉大な旗幟を高く掲げ、深く徹底的に科学的発展観を実行し、思想解放を継続し、時代と共に歩むことを堅持し、力の限りを尽くして更に広大な将来の発展を開拓すれば、我々の社会主義近代化事業は、必ずや輝かしい未来が迎えてくれることだろう。
解放軍報「憶大転折中的几件事」
再び「誤った風潮」が蔓延しつつある中、更には中心に据えているはずの経済が急激に悪化する中、”毛沢東”も”トウ小平”もいない中共は、どうなるのでしょうか。”トウ小平”が再び光臨するのでしょうか。
トウ小平と改革開放を讃えるためとはいえ、四人組逮捕という軍事クーデーターからトウ小平の正当性を謳いあげる回想録に、いや〜な空気を感じなくもありません。
「軍部の伸張なのか、危機感なのか (文革正史)<上>」の冒頭で紹介した記事の著者である『産経新聞』の伊藤正氏は、『トウ小平秘録』の著者でもあって、今回紹介した遅浩田の回想当時もこの『秘録』に収録されております。
- MSN産経ニュース「【トウ小平秘録】第4部 第2の革命」
この中で四人組逮捕を次のように記しています。
「宮廷クーデター」さながらの政敵追放劇は、華国鋒氏、葉剣英(ようけんえい)副主席、李先念(りせんねん)政治局員(副首相)、汪東興(おうとうこう)中央弁公庁主任らが周到に準備したシナリオ通りだった。
それは中国共産党史に前例がなく、毛沢東時代のルールにも反していた。毛沢東は、指導者を追放する場合、会議での多数決という手続きを踏んだ。無法がまかり通った文化大革命期でさえ、トウ小平(しょうへい)氏の2度の失脚を含め、そうだった。
MSN産経ニュース「【トウ小平秘録】第4部 第2の革命 「四人組」逮捕」
トウ小平(軍)は、華国鋒、胡耀邦、趙紫陽ら3人の国家主席を葬っております。
こうした上に現在の政権が立っているわけです。
こういったきな臭い中、1月4日に『解放軍報』が中共の軍事戦略の大転換を宣言した記事を掲載しております。
![]() | トウ小平秘録 上 関連商品 トウ小平秘録 [下] 周恩来秘録 上 周恩来秘録 下 トウ小平 講談社学術文庫 毛沢東の私生活〈下〉 (文春文庫) by G-Tools |






