言語学研究日誌さんんからのトラックバックで知ったのですが、既に多くのブログでボロカスに非難されているこの記事。
【北京9日共同】中国外務省の崔天凱アジア局長は9日、北京での日中政府間協議で「日本のマスコミは中国のマイナス面ばかり書いている。日本政府はもっとマスコミを指導すべきだ」と述べ、日本側に中国報道についての規制を強く求めた。
メディアを政府の監督下に置き、報道の自由を厳しく規制している中国当局者の要求に対し、日本外務省の佐々江賢一郎アジア大洋州局長らは「そんなことは無理」と説明したという。
日本側によると、崔局長はまた、小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題や日本国内での「中国脅威論」の高まりなども挙げ「(日中間にあるのは)日本が起こした問題ばかり。中国は常に守りに回っている」と批判した。
佐々江局長は「日本だけが一方的に悪いという主張は受け入れられない」と反論したが、双方の隔たりの大きさに、日本の外務省幹部は「これが日中関係の置かれている実態」と苦笑した。 (22:26)
河北新報「日本に報道規制を要求 中国「対中批判多すぎ」」
「そんなことは無理
」以外答えようのない要求ですね。「アホかいな」と思わず吹いてしまいました。言語学研究日誌さんが「気でも狂ったか、中共」と題されていますが、狂ったのでしょうね(笑)狂っていないとこんな恥ずかしい要求などできません。
朝日新聞もこの件を報じているのですが、表題は「日本の「中国脅威論」に懸念表明 局長級協議で中国側」となっています(註1)。普段の朝日新聞の対中報道姿勢を眺むるに自主規制してのことでしょうね。こうすることが「公正中立」な報道姿勢だと考えているのでしょう。やらしく隠蔽したり矮小化させたりする方が、逆に不穏な空気が蔓延するのにね。
朝日新聞の記事を読むと「中国脅威論ばかりを口にする政治家」にスポットを当てており、「日本政府に報道規制を求めた」というところから焦点をずらしているのがわかります。意図的なのか無意識なのか知りようもありませんが、中国側の要求に対してそれほど嫌悪感を抱いていないのかも知れません。もしそうならメディアとして自殺したようなものです。NHK問題では、あれだけワーワー騒いでいたのにね。
んで表題の「中国外交部の劣化」についてなのですが、今回の中国側の要求は、「日本政府に対して要求した」という部分を除けば別に今回初めて言ったことでもなんでもありません。おととしのサッカーアジアカップ後や昨年の4月の反日暴動後などにも同様に「日本のマスコミは反中感情を煽る報道に偏っている」、「日本のマスコミには冷静な報道を求める」などとして、事あるごとに日本の報道姿勢に対して苦言を呈していました(註2)。昨年の11月24日に外国人記者クラブで行われた王毅の記者会見でも、同様のことを王毅が述べています。このような要求はある程度効果を上げ、テレビなどで「反日暴動を行ったのは一部だ」などというセリフが聞こえてきていました。
しかし、今回は日本政府に報道規制を求めるというアホなことをしでかしたわけです。ここに中国側の焦りと混乱、外交部の劣化を感じました。
駐上海領事館事件でも「日本側も同意した」、「警察が調査した資料もある」などと反論の度に新たな事実を添えています。こう反論されると日本のマスコミは、この新たな部分に喰いついて報道します。中共にとって一番よい対応は、最小限の反論に留めて後はスルーだと思うのですが、わざとこの事件報道を長引かせるかのように餌を与えている中国外交部。裏の意図があるのかもしれませんが、その意図がわかりません。単に売り言葉に買い言葉で余裕なく反論しているように見えて仕方ありません。
行き過ぎた反日教育のせいで中共自身が外交の選択肢を少なくし、余裕のなさを露呈しているように見えます。
さすがに外交部も今回「日本政府に情報統制せよ」と要求したのは失敗だという認識があるのでしょう、今日の定例記者会見で「内政干渉に当たるような発言があったが、これは外交部の公式見解なのか、それとも個人の考えなのか?」という質問を受けて、「中国官吏の発言についての話をしているのなら、私は正確であると思わない」とやんわりと発言の否を認めています。しかし、その後は、日本のマスコミの偏った報道姿勢を指摘し非難しています。「私はあなたに教えたいことがある・・・」と以下孔泉節が炸裂しています(註3)。
追記:中国という隣人さんが「中共、それマジで言ってんの?」の中で、この孔泉節を訳出されています。
今回の件、別の見方(下衆の勘ぐり)をすると、日本の外交姿勢が変化した現れの一つとも言えるかもしれません。今までも同様の要求が行われていたが、外務省はこの情報を流さなかった。しかし、媚中ではなく物言う外務省をアピールする為に発表したと。
それにしても、自分のことを棚にあげてという姿勢には頭が下がりますな。
そうそう、小泉さんが正月休み中に観劇した「信長」の観劇後に記者団からの「政局運営のヒントになったか」との質問に対して「戦いに終わりはない。いつの時代も何かと人は戦わなきゃいけない宿命だと思う」と答えた(註4)ことをあげつらった記事が人民日報に掲載されていました。この発言を武士道とを結びつけて、記事曰く「日本は好戦的で軍国主義化する要素を内包している」だと。映画「ラスト サムライ」や「男たちの大和」、書籍の「武士道の国から来た自衛隊」にまでケチをつけています。この調子なら、そのうちNHKの大河ドラマや水戸黄門にまでケチをつけてくるかも知れませんね。こんな偏向記事を新華社もご丁寧に転載しております。あっ、記事の最後で1月1日付けの朝日新聞の社説「武士道をどう生かす 2006謹賀新年」を褒めています(註5)。
この手の偏向侮日抗日反日記事を翻訳されている「中国反日情報」というブログがあります。このブログは、かつて新華社でとり上げられた中共お墨付きのブログです。上で紹介した記事など足元に及ばないようなパンチの効いた偏向記事を紹介されています。
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日中両国の首脳や閣僚級の対話が途絶える中、両政府の非公式局長級協議が9日、北京で開かれた。中国側は、日本国内で「中国脅威論」が高まり始めていることへの懸念を表明。日本のメディア報道にも異例の注文をつけた。靖国神社参拝問題で小泉政権下では本格的な日中関係の改善は難しいとみられるだけに、中国脅威論をはじめとする「ポスト小泉」の対中姿勢が、06年の日中関係を占う試金石となってきた。
「日本は、中国のことを一体どう思っているのか」。9日の協議で中国外務省の崔天凱アジア局長が佐々江賢一郎・外務省アジア大洋州局長に問いかけた。日本側の説明によると、「日本では中国脅威論が非常に高まっている。日本のメディアはなぜ、中国のマイナス面ばかり報道するのか」「良い報道がなされるよう中国ではメディアを指導している」などとたたみかけ、日本政府に「報道規制」を促した。
これに対して、佐々江局長が「中国の発展は脅威ではなく、チャンスだ」との小泉首相の発言を説明。メディア報道への注文についても「それは無理だ。日本ではそういうわけにいかない」と反論した。ただ、崔局長はさらに「良い報道が出るように、もっと材料を与えたらどうか」と持ちかけるなど、「脅威論にかなり神経質になっていた」(日本政府当局者)という。
また、東シナ海のガス田開発問題がテーマとなり、双方は4回目となる政府間協議を今月末か来月前半に開くことで一致した。ただ、日本側が昨年示した共同開発の提案に対して、中国側が「非常に問題があるので、新しい案を検討し、準備する」と表明した。また上海の日本総領事館員自殺問題でも、日本側は重ねて「背後に遺憾な行為があった」と伝えたが、前進は見られなかったという。
異例の報道規制にまで言及して中国側が「脅威論」を牽制(けんせい)したのは、ここに来て日本政界でポスト小泉を争う政治家たちが厳しい「中国批判」を続けているためだ。小泉首相の靖国神社参拝をめぐって、日中間の首脳や閣僚級の対話は次々と断絶状態に追い込まれている。首相が持論を変えない以上、日中関係の抜本的改善のカギは次の政権が握る。
中国にとっては、今や日本との対立関係が最も深刻だ。米国との間でもさまざまな対立を抱えつつも、首脳対話や戦略対話は軌道に乗っている。対中強硬派の米国防総省でさえ、昨年の報告書では中国軍が「長期的に見ていずれ脅威になり得る」との表現にとどめた。
一方、日本では2大政党の「ポスト小泉」たちが中国批判を繰り返している。民主党の前原代表は昨年12月以降、中国の軍事力増強などを取り上げて「現実的脅威」だと言ってきた。アジア諸国との関係改善を前面に掲げた岡田前代表時代とは様変わりだ。
自民党でも、麻生外相が12月下旬の記者会見で前原氏の発言に関連して「かなり脅威になりつつある。前原氏が言っているのは確かだと思う」と語った。安倍官房長官は「脅威」という表現は避けつつも、各論での中国批判は厳しい。首相の靖国神社参拝を巡って首脳交流などが途絶えていることについて「相手側が意にそわない場合は会わない、という外交は、間違っている」と批判する。
ただ、「脅威論」が独り歩きすると、小泉政権後も日中関係改善の糸口を見失いかねない。
小泉首相自身、昨年暮れ、山崎拓・前自民党副総裁らと会食した際に「中国の発展はチャンスだと言ったことはあるが、軍事力の膨張に関して脅威だと言ったことはない」と語った。山崎氏が、「脅威論」が日中対立を激化する悪循環を避けるべきだ、との発言を続けているのもそのためだ。
朝日新聞「日本の「中国脅威論」に懸念表明 局長級協議で中国側」 - 註2
- 光明網「外交部呼吁文明視看亜洲杯足球賽中日決勝」
- Irregular Expression「中国の恫喝に敏感に反応する朝日新聞」
- 註3
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【北京・飯田和郎】中国外務省の孔泉報道局長は10日の定例会見で、日本メディアの報道について「中日関係上の摩擦や問題を熱心に報じ、歴史問題など重大な原則的な問題では中国を含むアジア人民の感情を傷つける報道を繰り返している」と批判した。
政府がメディアを監督・規制する中国と異なり、日本では「報道の自由」が憲法で保障されていることへの認識の低さが改めて浮き彫りになった。
孔局長は、昨年4月の日中首脳会談で胡錦濤国家主席が明らかにした日中関係に関する5項目提案について王毅駐日大使が「日本での報道がとても少なかった」と指摘したことを例に挙げ、メディアの役割は「両国国民の相互理解、相互信頼を増進させることだ」と語った。
北京で9日開かれた日中外務省間の協議では崔天凱アジア局長が「日本のマスコミは中国のマイナス面ばかり書く。日本政府はもっとマスコミを指導すべきだ」と要求。佐々江賢一郎アジア大洋州局長は「それは無理だ」と説明したという。
毎日新聞 2006年1月10日 18時57分 (最終更新時間 1月10日 20時06分)
毎日新聞「中国:報道局長、日本メディアの報道を批判」 - 註4
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小泉純一郎首相は2日、東京・新橋演舞場で、歌舞伎俳優の市川海老蔵さんが戦国武将、織田信長の一生を演じる舞台「信長」を鑑賞した。
かねて「信長好き」で知られる首相。鑑賞後、海老蔵さんと10分ほど語り合い「信長と握手するなんて幸運だ。歌舞伎とは違ったオーラが出ていた」と3時間にわたる熱演をたたえた。今年は9月退陣を公言しているが「政局運営のヒントになったか」と記者団から問われ「戦いに終わりはない。いつの時代も何かと人は戦わなきゃいけない宿命だと思う」と語っていた。【坂口裕彦】
(毎日新聞) - 1月3日10時23分更新
Yahoo!ニュース「小泉首相 舞台「信長」を鑑賞 海老蔵さんの熱演たたえる」 - 註5
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明けましておめでとうございます。
今日はこの言葉が日本中を行き交っていることだろう。
正月がめでたいのは、気分新たに幸せが来そうな気がするから。英語で「ハッピー・ニューイヤー」、中国語では「新年快楽」や「新年愉快」。この気持ちは世界に共通のようだ。
あなたの願いは何だろう。入試、就職、恋愛、仕事、健康、平和……。みなさまの幸せを心からお祈りしたい。
ところが困ったことに、幸運は平等にはやってこない。スポーツに勝者と敗者があるように、我が身の幸せはしばしば他人の不運と重なり合う。
昨年は郵政民営化で勝者と敗者が明暗を分けた。織田信長を好む小泉首相は気迫で総選挙の勝負に出ると、造反派のもとに「刺客」を送る非情さも見せた。
内外のいらだち
「戦国武将に比べれば、いまの権力闘争などなまっちょろい」
甘えやもたれ合いの時代が去ったからこそ、これが余計受けたのか。いまは能力や成果を争う「競争」の時代だ。
しかし、それはちょっと嫌な言葉も生んだ。「勝ち組」と「負け組」である。
IT事業や投資ブームの波に乗ったリッチな人々。一方で倒産、失業、リストラ。正社員は減り、フリーターやニートが増える。所得の差は広がり、自殺者は空前の水準。競争と二分化によって生まれる社会のいらだちは、これからの大きな課題に違いない。
そんな折、この国の近所づきあいがすっかりこじれたのは偶然ではないかもしれない。日中も日韓も首脳間の信頼がこれほど壊れてしまうとは……。
大きな火種は小泉首相の靖国神社への参拝だ。悪いのはそっちだ、いや、そっちの方がおかしい。子供のようなけんかは歴史の歯車を逆転させ、せっかく緒についた「東アジア共同体」の機運にも水を差してしまった。
昨春、北京や上海で暴力騒ぎになった反日デモのように、中国や韓国には荒々しいナショナリズムが横たわる。中国の強権的な支配や軍事力膨張の不気味さなども厄介で、こちらがきちんともの申すべき点は少なくない。
他者への哀れみは
だが、それだけに身をただすべきこの日本は、どうだろう。
「牙を剥(む)く中華帝国」
「反日国際ネットワークを粉砕せよ」 まるで戦争前夜のような見出しが一部の大手雑誌に毎号のように躍る。呼応するかのように有力政治家も寄稿する。
空前の韓流ブームは救いだが、一方で『嫌韓』の言葉を冠した漫画が何十万部も売れている。インターネットにはさらに激しい言葉があふれる。冷静さを欠いた言論は、まるで国内のいらだちを外に吐き出しているかのようだ。
「外国の干渉を許すな」と、首相の参拝を支持する人々の声もとかく勇ましい。郵政問題を武将の流儀で押し切ったように、ここでも強気で押してこそ国家のリーダーだ、といわんばかりに。
そういえば少し前、映画『ラストサムライ』のヒットもあって、ちょっとした「武士道」ブームが起きた。忠義のため命を捨てる潔さがたたえられがちだが、その本質は決して好戦的ではない。
1世紀ほど前、新渡戸稲造は英語で出版した名著『武士道』のなかで、「いつでも失わぬ他者への哀れみの心」こそサムライに似つかわしいと書いた。弱者や敗者への「仁」であり、「武士の情け」「惻隠(そくいん)の情」のことである。
最近では数学者の藤原正彦氏がベストセラー『国家の品格』でそうした側面を強調し、武士道精神の復活こそ日本の将来のカギを握ると唱えている。
ならば「武士道精神に照らし合わせれば、これはもっとも恥ずかしい、卑怯(ひきょう)なこと」(藤原氏)だった日中戦争に、いまだけじめがつかないのでは話にならない。あの時代、アジアでいち早く近代化に成功した「勝ち組」が「負け組」に襲いかかったのがこの戦争だった。
靖国神社はその軍部指導者までたたえて祀(まつ)っている。そこに、中国などの神経を逆なでして首相が参拝し続けるのは、武士道の振る舞いではあるまい。参拝をはやしたてる人々もまたしかりだ。
品格を競いたい
いま「60年たっても反省できない日本」が欧米でも語られがちだ。誤解や誇張も大いにあるが、我々が深刻に考えるべきはモラルだけでなく、そんなイメージを作らせてしまう戦略性の乏しさだ。なぜ、わざわざ中韓を刺激して「反日同盟」に追いやるのか。成熟国の日本にアジアのリーダー役を期待すればこそ、嘆く人が外国にも少なくない。
中国の急成長によって、ひょっとすると次は日本が負け組になるのかも知れない。そんな心理の逆転が日本人に余裕を失わせているのだろうか。だが、それでは日本の姿を小さくするだけだ。
武士道で語られる「仁」とは、もともと孔子の教えだ。惻隠の情とは孟子の言葉である。だからこそ、子供のけんかをやめて、大国らしい仁や品格を競い合うぐらいの関係に持ち込むことは、アジア戦略を描くときに欠かせない視点である。秋に新たな首相が選ばれる今年こそ、大きな転換の年としたい。
ことは外交にとどまらない。
国民の二極分化が進む日本では、まだまだつらい改革が待っている。競争や自助努力が求められる厳しい時代だからこそ、一方で必要なのは弱者や敗者、立場の違う相手を思いやる精神ではないか。隣国との付き合い方は、日本社会の将来を考えることとも重なり合う。
自分の幸せを、少しでも他者の幸せに重ねたい。「新年愉快」ならぬ「年中不愉快」が続いては困るのだ。
朝日新聞1月1日付社説「武士道をどう生かす 2006謹賀新年」
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