1ヶ月以上も前の記事ですが、気になる、というか目にとまって留めておいたものを投下しておきます。単に投下するタイミングを失っていただけとも言う。
記事は、2月9日に『北京日報』が掲載していたもので、元中央党校理論室主任なる人物による論評記事です。
全文訳出してしまいましたが、前5段は読み飛ばしてもいいかも知れません。
昨年のチベット騒乱に始まった聖火リレーでの世界的な対中抗議運動、欧米メディア、そして特にフランスが攘夷の標的に、そんな中で迎えた北京五輪、そしてアメリカ発の金融危機による先進各国を筆頭とする経済的落ち込み、そして再び標的となったフランスにコカ・コーラによる国内最大手飲料メーカの買収問題、米国債購入問題などなどを経ての中共内の空気、雰囲気の一端を反映しているのかなぁ、なんてぼんやりと思っております。
現代の世界の経済発展の中において、中国は国際社会に溶け込むことを見出し、また自主発展の”中国方式”をも見出してきた。この方式は、当面の国際金融危機が不断に蔓延している状況の下、独特の競争力、効率、適応性を有しており、世間の人々の注目を集めている――
今回の世界的な金融危機は、金融の津波と称せられ、人々は”うねり”が酷いと話しているが、唯一特殊な現象を有しており、それは西方の多くの人々でさえ中国の発展を重視し、皆が”中国方式”を語り合い、「この金融の津波に反するとして”中国方式”の吸引力がドンドンと大きくなってきてる」と思い、”中国方式”とその他の発展方式(資本主義発展方式を含む)とを比較するようになっている。”中国方式”について、多くの西側の知識人たちが称賛しているのは、中国の改革は、まず先に経済があって後に政治があるというところで、先に政治を安定させてから、その後大胆に経済を発展させ、経済体制を刷新し、更にはいくつかの資本主義的な方式を恐れることなく推進し経済を発展させ、特に計画経済を市場経済に転換させるのに力を尽くし、これは一度、長い間の熾烈な闘争、保守勢力がこの領域において何度も権力を奪い返そうという闘争を経験した。ある西側の評論家は、旧ソ連が先に政治あとに経済改革を行ったことを振り返り、「ソ連は、ゴルバチョフとエリツィンが協力し、更には憲法第二条を削除、即ちソ連共産党の指導的地位を削除したことは、ソロスなどの世界金融の巨頭を生み出す大変大きな温床となった」と語った。
しかし、中国の経済先行は、政治が全く動かず、経済的助力を提供しなかったわけではなく、事実はこのようではない。一人の中国の青年評論家・兪可平が言うように、中国は”増量民主”の方法を採用し、”増量民主”とは、少しずつ積み上げられた一部が質的変化を起こすということを表したものである。これは、下部層の普通選挙や上部が採用している一部の人民が”知る権利、参政権、表現権、監督権”などを有しているところに見ることができる。これは、中国のように人口が多く、地域事情がそれぞれ違っている大国にとっては、極めて重要なことだ。その他、中国の市場は有効的な保護層を有しており、これは国家(国務院)がマクロコントロールする市場構造(当然有効的な政府があることが前提となる)を有していて、市場が自発的な起伏の影響を受けることを少なくしているのだ。(この中で私は指摘しなければならないと思っていることは、市場経済は本来、いわゆる”社”と”資”とを分けているものではなく、いわゆる”社会主義市場経済”といわれているものは、社会主義国家の価値観に照らしてマクロコントロールを社会主義の要素を培養するために行った市場経済のことで、”資本主義市場経済”とは即ち資本主義国家の主導にゆる市場経済で、福祉政策を採っている国家をも含む。)
中国の発展方式について論じる際、外国の学者が最も興味を持って論じていることは、民主に関する問題だ。西側方式の民主は経済を発展させるのではなかったのか?今回の金融の津波と世界が注目している中国の発展方式とが、この問題をあらためて考えさせているのだ。発展途上国が深く体得したものとは、セネガルの大統領アブドゥライ・ワッドは「西側国家は、中国が民主改革の方面において歩みが緩慢なことに不満を抱いているが、中国人が批判する者よりも競争力があり、有効的であり、更にはアフリカの商業環境に適応している事実を隠すことはできない・・・・アフリカが中国に学ばなければならないだけでなく、西側も更に多くを中国から学ぶなければならないところがある」と述べている。欧米の政治家と世論は、常に意図的にインドの”民主道路”と中国の道路とを比較しているが、決して思い通りにはならない。2007年11月下旬、温家宝総理は、シンガポールで行った講演の中で、中国は改革開放を継続すると強調した。数日後、インドの総理シンは、集会の席上で、インドの政治要員に対してこの講演を熱心に薦め、「インドは良好な民的構造を維持することを希望しているが、民主にもまた欠陥がある」と特に指摘している。2006年9月に、ロシア経済学教授ポポフが、「中国の発展方式は、発展途上国にとって拒否しがたい誘惑の力を有している、なぜならこの方式が世界経済史上、前例のない成長を引き起こしたからで、この方式とアメリカが打ち出している西側の民主と新自由主義の処方箋とは真逆であると言える」と述べている(以上、香港の月刊誌『鏡報』からの抜粋)。最近の月刊誌『鏡報』が再び掲載した文章で次のように指摘している。西側の一部の政治家が好んで口にしている、”民主は普遍的な価値観である”とは、果たして真実であろうか?当然、民主は一種の非常に積極的なもので、それを否定する人はいないが、民主は多種多様であって、「西側式の民主が普遍的価値」とは、明らかに言いすぎだ。ドイツの前総理シュレーダーは最近日本の『読売新聞』に寄せた文章の中で、西側の民主の価値は完全に西側のものであり、その源は”啓蒙思想”にあって、キリスト教の教義を源としている、そのため、アジアにおいては通用しないのだと述べている。アメリカにとっては、アメリカ自身の選挙制度と民主形式がもはや現代社会の民主的要求に適応しておらず、有権者が期待をかけている大統領候補者に直接投票できず、人々が投票後に出ることは何もなく、選挙が金銭主導で偽善と貪欲に満ちていると指摘する者がいる。そこで今回の金融の津波が現われ、人々の注意が中国に向き始め、国際社会に加わりつつ西側に依存せず、資本主義の要素を取り入れ、かつ独立自主路線を堅持し、発展の勢いを促進しつつ逆の勢いをも受け止めるだけの力を示している”中国方式”に彼らの注意が至った。民主の漸進、経済の高速、社会の安定、日々増す強大な吸引力、この種の吸引力は強大な発展途上国に見られるだけでなく、一部の先進国の世論の中にも見られるようになってきている。
漸進的民主について。2008年2月7日、ドイツの『新コ意報』は、「現在の中国は、現代においてもっと偉大な社会的実践を行っており・・・・中国は一種特殊な民主を実践しており、この民主は、この大国の社会、文化、経済の特徴を考慮したものだ。このアジアの”社会主義民主”というものは、史上前例がなく思考し続けられており、西側の資本階級民主を複製といった抽象的なものではない」と記している。2008年2月、アメリカの”ソフトパワー”の概念の提唱者であるジョセフ・ナイは、「中国の経済成長は発展途上国に巨大な利益をもたらしただけでなく、特色ある民主方式を含む中国の特色ある発展の方式は、一部の先進国も倣うべきであると称せられるようになり、更に重要なことは将来、中国が提唱している民主の価値観、社会発展方式や対外政策の方法は、より一層、世界の人々の中に共鳴と影響力を生み出すだろう」と語っている。
以上は、一側面を見たものだ。世界には、不変な発展の方式など存在せず、中国方式もまた、不断の発展と改善の中にある。これらの方面に関して、総括的に言えば、第一は、中国は国内の安定を前提としつつ己の大国である社会、文化、経済発展の特徴と適合した民主について、はっきりとした青写真を持っておらず、そのために、この方面においていくつかの不協和音聞こえてきている。第二に、住民の生活が実質的に高まっている状況の下、貧富の格差が拡大する趨勢を効果的に抑えることができておらず、改革が至らず、一定の経済的、社会的不均衡を生み出し、この不均衡は、都市と農村の間、およびそれぞれの経済部門の間に存在し、実質的な収入格差と社会的分化を招いている。ここで避けられないことは、今回の世界的な経済危機の中で厳しい試練に直面することは、どうやら中国も避けられそうにないといことだ。第三に、現在の中国はすでに、海外からの如何なる敵対勢力にも打ち破られるようなことがないほど強大となっており、”台湾独立”、”チベット独立”、”東トルキスタン”、邪教組織など、全て恐れるに足りず、唯一中国共産党と中国政府を打ち負かすことができる者は、自身の内部の腐敗だけだ。我々の党は、これまで高度に反腐敗工作を重視し、ここ最近では我々の反腐敗工作は大変大きな成果を得ているが、はっきりとしなければいけないことは、反腐敗闘争は長期的で、複雑で、困難であり、権力が私的に受け渡され、感触の売買などの腐敗現象は未だに存在し、一定の範囲に置いては今なお蔓延する勢いを有しているということだ。多くの腐敗の源は、人を不当に用い、監督の力不足だ。人を治めることが出来なくて、どうして国を治めることができようか。
”中国方式”は世間の人々に熱く議論されており、我々はどのように応えればよいのか。応えは、更に自ら警戒し自ら検査し、背伸びすることなく、謹みをもって仔細に分析し、決して自己を肥大化させ、”隆盛”に酔ってはいけないということだ。我々はしっかりと知っておかなければならないことは、未だに発展の中にあり、先進はまだまだ遠いということだ。この危機が訪れている今、まさに我々は自ら警戒し、自ら検察する時なのだ。危機をやり過ごすことが当面の急務なのだ。尤も、腐敗が横行することが”中国方式”を生死の試練に直面させている。我々は、慎みの中に慎みを持たねばならず、ひとつの誤りで一生後悔することとなるのだ。功罪栄辱は、この一手にかかっている。
網易「呉江:世人争談“中国模式”」
この論評記事の最後に、著者のプロフィールが記されています。
作者:呉江、浙江省諸曁の人、1918年生まれ。19歳で郷内で入党し、20歳で転々としながら延安に辿り着く。長期間にわたり劉瀾涛の指導の下で工作を行い、1957年からは政治ではなく学問に従事することを望み、政治部門を離れ、中国人民大学鉄学部主任へと転任する。1959年に新たに成立した『紅旗』雑誌社に異動となり、陳伯達、胡縄、ケ力群らと共に働いた。文革中は追いやられ、復帰後は中共中央党校理論室主任を務め、真理基準の討論に参加し始めた。1982年に一線を退き、1990年まで社会主義学院副院長を務め以後退職した。
呉氏は退職後は、筆を握り、マルクス・レーニン主義についての多くの新たな討論を行い、随筆雑誌である『随筆』などの刊行物に寄稿したりしていたが、彼のいくつかの著作は、香港で出版されていたが、国内では無名の出版社が少量発行しているのみで、なかなか見ることがなかった。1年前に彼の回想録『政治の変転60年――冷石齋憶旧』が蘭州大学出版社から出版された。この本は、相当程度、隠すことなく率直な回想録だ。特に、陳伯達、ケ力群、胡喬木、胡縄、楊献珍などの中共理論家の描写は生き生きとしている。胡耀邦に対する評論もなかなかの見識である。
網易「呉江:世人争談“中国模式”」
胡耀邦について、どのような見識を披露しているのかは知りません。
ちなみに胡耀邦の命日は4月15日で、今年は亡くなってからちょうど20年になります。
この記事には、1,000以上のコメントが寄せられおり、盛り上がっております。
- 腐敗の根源は特権であり、特権があるから腐敗するのだ
- 先進国は自らの問題を語り続け、発展途上国は自らの成績を語り続ける!
- 中国方式なんぞ存在しない
- 腐敗はあちこちに蔓延していて、法治なんぞどこにもないよー
- 中国方式とは、アメリカを助けることでーす
- 中国方式は、指導者に優しく庶民に厳しい
- 民主でも腐敗はなくならないから民主は無駄
- 中国人いるところ腐敗あり
- 制度に欠陥があるのだから腐敗して当たり前だろ
前段をすっ飛ばして、最後の2段に反応したコメントが多数。
前段の異様なほどの持ち上げ方と、プロフィールにある胡耀邦、そしてコメント数の多さ。中国を取り巻く環境の激変によって生じている空気のようなものの一端を表しているのかなぁ、と。
19日付の胡錦濤の御用新聞たる『中国青年報』のコカ・コーラによる匯源果汁集団の買収却下の決定について論評記事の表題に「これは独占禁止法の勝利であり民族主義の勝利でもある」なんて言葉を並べております。
- 中国青年報「是反壟断法的勝利還是民族主義的勝利」
記事内容は過激ではないのですが、『中国青年報』にしてはらしくない表題かと。煽られているのか、煽っているのか、どっちらでしょ。





