続)核兵器の先制使用放棄を放棄せよ

2009年06月25日

前回に続き、『読売新聞』が報じた『南方週末』の記事をば。

人類史上において核兵器は、使うために生産されているものではない初めての武器と言える。今日、核保有国の研究開発、生産、配備は無論のこと、機会を逃さず国家が核兵器を使用する能力と意志とを示そうとすることも、その目的は、それを戦場に投入することではなく、それによって相手の意思と判断とを妨害し、戦わずして相手の兵を屈することにある。

核兵器が威嚇を発揮しているにいたり、我々はひとつの面白い現象を見つけた。核兵器自体に対して国家は常に軽んじることなく宝として扱っているが、国家が如何なる状況下において使用するのか、どのように核兵器を使用するのかということに関しては、核保有国は比較的明確な戦略的戦術的規則を制定しており、潜在的敵対者がそれを自覚するよう確保し、誤読から収拾不能にならないようにしている。

世界で保有する核兵器の量、品質は核保有国に委ねられており、各国が核兵器を効果的に運用しようとしており、各国の核戦略は大体3種類に分けられる。”全面的に核威嚇”を実行している米ロ、”限定的核威嚇”を実行している英仏、そして”最低限の核威嚇”を実行している中国である。

しかし、中国は、”最低限の核威嚇”を認めていないし述べてもいない。2006年の中国国防白書では、中国の核戦略を集約し”自衛防御”としている。

白書が記している原則的な詳述、および”核反撃”の最低ライン以外に、中国の核戦略と米ロ英仏の4カ国とは大きく違い、核兵器運用における到達目標において、中国の戦略的意図は更に独特で、潜在的敵対者の核による恐喝を阻もうとするものである。一般的に、効果的な妨害を確保するためには、国家の核戦略には4つの条件が必須であると考えられている。一つは、十分な威嚇能力、二つ目が敵対者に自分の実力を感じさせること、三つ目は必要時に使用する決心を行うこと、四つ目は敵対者に使用する決心をすると確信させることである。

有効な阻止を実現させるために、核大国の戦略的通行方法は、核兵器の使用方面において、意図的かどうかはわからないが”戦略的曖昧”地帯を設置している。――米軍の例で言うと、空母が攻撃を受けた場合に核攻撃を発動するかどうか、フランスを例とすると、国家の重大な利益が脅威に直面した際に核兵器による先制攻撃を行うのか、何を以って”重大な利益”とするのか不明確であるが、敵対者の選択をいくらか制限することとなり、それを生み出す心理的威嚇という核反応策略については、十分に公開し、透明な方式を取っている。――例えばフランスは、戦争が発生したと確定した場合、核兵器を使用し戦場での劣勢を転換することができるし、核兵器で敵の攻撃部隊を攻撃することができる。アメリカは、どのレベルの指揮官がどのレベルの核兵器を運用することができるか等を明確に規定している。まさにこれは、明暗が有機的に結合しており、威嚇が真実であると思わせているのだ。

これと比較すると、中国の核戦略は”明”、”暗”の両面がはっきりと分かれておらず、威嚇が損なわれている。例えば、核大国に直面した場合、中国の限定的核運用能力が信頼できる威嚇となるまでには今尚距離があり、アメリカの迎撃能力のレベルが上がれば尚更である。その次に、中国が一方的に宣言している”核兵器を先制使用せず”は、敵対者の疑心を打ち消すことができず、更に核兵器の不足は、潜在的敵対者が冒険的な行為をとることを助長することにもなるかもしれない。だから、中国は有効的な威嚇を確保するためには、自己の核戦略を明確にしなければならず、中国の核兵器の開発目標を明確にし、中国が威嚇に対する取り得る反応を世界に向けて公開しなければならない。

実は、更に現実的な威嚇は大国間の全面的な対抗をもたらすものではない。最近出現したいくつかの新たな状況は次ぎの通りだ。第一、核兵器使用の敷居は日々下がっており、例えば米軍の核兵器使用権は、作戦区域司令官のレベルにまですでに下がっており、これは伝統的な核大国の抵抗にある種の不確定性をもたらしている。第二に、新興各国家は、実力の差から、自己の安全を守るために核兵器に頼ろうと更に傾倒し、更に核兵器を後ろ盾として、国家の規則を改変しようとしている。第三に、核技術の敷居が下がったために、核兵器の拡散のリスクが大きくなり、一部の過激派勢力は核兵器に対して道徳的制約がより少なく、国際社会を危険に陥れている。第四に、現代軍事技術の発展やいくつかの特定の軍事行動は、核兵器の破壊力に匹敵し、我々でも三峡ダムのような高価値な戦略目標が簡単に思い至る。

これらの新たな状況は、核大国間の好ましい容易ならざる暗黙の均衡を破壊するかも知れない。もしかすると中国は、己の核の安全環境をじっくりと見直し、”防御自衛”を有効な威嚇へとするために変えるべき時なのかも知れない。

南方週末「変“自衛防御”為“有效威懾”

「法治国家でない独裁体制である」ということ自体が不確定要素の塊として脅威なんですがね。核兵器使用プロセスをより明確に、より先攻的にすべきだという主張のようです。

このような意見が軍内の一般的な意見であるのか、または一部強硬派の意見であるのかどうかまではわかりません。尤も強硬派はもっと過激ですしね。劉亜州とかどこ行ったのでしょうか。

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posted by タソガレ at 00:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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