前回、「私人と公人 その1@天皇陛下の靖国神社参拝」のやり取りの続き、午後の部です。ようやく、三木発言が出てきます。
国会会議録検索システム「昭和50年11月20日参議院内閣委員会」
- 野田哲(参議院議員)
- 午前中の天皇の行為と政府の機能、権限等の問題に関連をして、引き続いて、法制局の長官が見えておりますので、公的行為、私的行為という問題について見解を伺いたいと思うんですが、本年の五月十五日、参議院の法務委員会で三木総理の発言があります。これは法制局の長官も同席をして、隣に座っておられたわけですからよく御承知だと思うんです。このときの三木総理の発言、公的行為か私的行為かという問題について、「稻葉法務大臣が個人の資格と閣僚の資格とを使い分けができるという判断のもとにあの会合に出席をしたわけです。しかし、閣僚という地位の重さから見て、使い分けができない、」、あといろいろありますけれども、そういう発言をされて、そのことが当時の参議院としては確認をされてあの問題が収拾をされた、こういう経緯があるわけです。この発言は当然法制局長官としても承知をしておられる、こういうふうに思いますが、いかがですか。
- 政府委員(法制局長官吉國一郎)
- 私も、その当日の委員会に総理を補佐するために出席をいたしておりましたので、総理がそういう発言をいたしたことは記憶をいたしております。
以下、稲葉法務大臣が憲法改正会合に出席したのは、ある一定の意見(自主憲法制定すべし)に傾いているとの誤解を与えたことに対して、5月15日に三木総理の「閣僚という地位の重みから見て個人の資格と閣僚の資格とを使い分けることはできない
」とし、軽率な行動であり厳重に反省を求めたとの答弁を取り出し、3ヵ月後の8月15日に三木総理自身が行った靖国神社参拝を「これは個人である」とするのは矛盾しているのではないかと詰問します。
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- 秦豊(参議院議員)
- (前略)・・・あすに追った天皇の靖国神社参拝は、自主憲法制定はおろか表敬法案などについて並み並みならぬシリアスな動きがあるときに、その反対の世論を逆なでするような無神経なやり方についてはぜひとも取りやめてもらいたい、再考慮をしてもらいたいという見地からぼくらは述べているわけです。この方がぼくは常識論だと思う。だから、稻葉さんに比べて三木さんは総理、宰相としての地位の重みは格段に重いし、また象徴天皇としては当然ですよ、あなた方はこれを私的行為という言葉を弄して逃げ切ろうとしているけれども、しかし、その私的行為という考え方と公的行為というものの境界は必ずしも分明でないということは、これまでのあなた国会答弁であるじゃないですか。たとえばあなた方法制局の解釈によると、天皇の地位というのは三分説あるとるる繰り返している、戦後の国会で。つまり、天皇は国家機関としての地位を持つ、国事行為を行う身分である、こういうのが一つあるでしょう。これはどなたも否定されない。それから、天皇は自然人という当然行為を行うけれども、それは象徴としての地位からくる行為、いわゆる公的行為がある。もう一つは純粋な私的行為に分けられる。一応あなた方の解釈はそうなっている。ところがちゃんと条件がついていて、公的行為は天皇の自然人としての行為の一部であるけれども、象徴天皇の地位からいってそのステータスや地位に反するものであってはならないということもあなた方の見解にあるわけです。そうであるとすれば、あすの靖国参拝なんということは、自然人裕仁氏の地位の重みからすると、はなはだこのことが巻き起こす政治的な効果というか、社会的な影響というか、はかり知れないものがあるというのが私どもの考え方なんですよ。だからあなたの答弁は、野田委員に対する答弁を聞いていても、しょせんは法律的な厳密さを欠くものである、はなはだもってあいまいであると言わざるを得ないが、重ねてこの点についてあなたの答弁を求めたいと思う。
- 政府委員(法制局長官吉國一郎)
- (前略:法律的見地からの答弁ではないと断りを入れる)・・・靖国神社にただ表敬するということ、お参りするということそれ自体については、従来とも先例がございまして、天皇陛下も戦後何回かお参りをしておられる、また内閣総理大臣の地位にあった人も何回か私人としての立場でお参りをしているということは国会の場でも明らかにしておるような状況でございますので、内閣総理大臣が、あらかじめ私人としての立場でお参りをいたしますということを世間に発表いたしましてお参りをすることについては、差し支えはないのではないかということが八月当時の私どもの考え方でございます。
また、天皇としての行為に三種類があるといま秦委員が仰せられましたのはそのとおりで、政府側の答弁もいたしておりますが、もちろんその公的な行為と私的な行為との差別というものは、おのずからそこに公的な色彩が強くあらわれるか、あるいはそういう色彩はほとんどなくて、と申しますか、全くなくて、純然たる私的なものにとどまるかという、濃淡の差がずっと来ているようなもので截然と私的な行為と公的な行為が分かれるものではないという御指摘はそのとおりだろうと思います。何と申しましても、天皇は自然人であられると同時に、これは憲法第一条において日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴たる地位を持っておられます。したがって、自然人として行動をされましても、生物学を御研究になっておられる場合にはその象徴たる地位はほとんどそこに投影されない全くの私的の行為と考えられる。また那須の御用邸において植物の採集をなさるという場合には同じようなことになると思います。ところが、つい先般アメリカ合衆国を御訪問になったという場合には、これはもう象徴として行動されることは内外ひとしく疑いないところでございまして、こういうものは明らかに公的行為であるということになると思います。
そこで靖国神社にお参りになる行為はどうであるかということになれば、これは私人としてお参りになる。天皇もそれは信教の自由はお持ちになっておりますわけでございまして、皇居内においても一定の宗教的行為をなさることもございますが、靖国神社にお参りになる場合も、私的な行動として御参拝になるということをあらかじめ明らかにいたしておきまして、天皇の私人としての行為、したがって私的な行為であるというふうに私どもは観念をいたしておる、そういう理論構成でございます。
以下、追求側は「三木総理の答弁は「公私の別はそもそも使い分けが困難だ」と言った」、政府側は「事前に行動に誤解が生じないように私人としての行為であると宣言すればいい」というやり取りが続き、天皇参拝が私的か公的かという質問へ移行する。
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- 野田哲(参議院議員)
- (前略)・・・そこで、具体的に天皇の行為が公的か私的かということについて宮内庁の方に聞きたいんですけれども、天皇の日常の行動について計画を立てられる場合に、この行動、行為は公的行為であるか私的行為であるかというのを判断をして決められるのはだれが決められるんですか。
- 政府委員(法制局長官吉國一郎)
- ちょっとよろしゅうございましょうか、その前に。
私が申し上げましたのは、あらかじめ私人としての行動であるとか、あるいは閣僚としての行動ではないとかいうことを言いさえずれば、すべてその使い分けが可能になるというようなことは申した覚えはございません。八月の三木総理の靖国神社参拝の場合には、その旨を明らかにすることによって私人としての行為であるということが明らかになると私どもは考えたということでございます。たとえば、どの大臣でも構いませんが、たとえば運輸大臣がこれは全く私人としての立場だということであっても運輸関係の団体の会合に出席することは、これはもうその会合に出席した人が見れば、みんな運輸業界について常日ごろ関心を持って行政の任に当たっておる運輸大臣が来てくれたと思うことは、これは当然でございましょうから、私人として出席をするということは、なかなか、これこそその閣僚の地位の重みからして使い分けは困難であろうと思いますが、これは私どもの考えでございますが、靖国神社にお参りをするということについては、内閣総理大臣の重みがそこに作用して、たとえあらかじめ私人である、私人としての資格であるということを明らかにした上であっても、誤解を生ずるというようなことにはならないというのが私どもの判断であるということを申し上げたつもりでございます。- 政府委員(宮内庁次長富田朝彦)
- 公的行為、私的行為につきまして、先ほど法制局長官から政府の見解について申し述べたわけでございますが、したがいまして、濃淡いろいろあるというようなお話でもございましたが、これにはいろいろ前例と申しますか、国会の開会式に御臨席になるとか、あるいは須崎においでになるとかというようないろいろな前例の中で、一応の公的、私的ということはおおむね区分けをされておるわけでございまして、それを尊重し、その行為の形態を十分考えまして、その意味では私どもとしては厳密に公的、私的の分類、判断をいたしておるつもりでございます。
以下、少しやり取りがあり総務長官が登場し、質問の矛先がそちらへ移る。
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- 野田哲(参議院議員)
- 総務長官お見えになったんですが、午前中の議論は聞いておられないわけですから、かいつまんで言いますと、明日、天皇、皇后両陛下が靖国神社と千鳥ケ淵戦没者墓苑ですか、そこへ行幸啓になる、こういうことについて議論をしてきておるわけです。午前中の宮内庁の答弁の中で、このことについては総務長官にも連絡をしてある、こういうことであったわけですが、もちろん総務長官としては承知をしておられるということを確認をしていいわけですね。
- 植木光教(総務長官)
- 公的御行為あるいは私的御行為につきましては、その都度私のところに宮内庁から連絡がございます。したがいまして、明日の靖国神社及び千鳥ケ淵公園の行幸啓につきましては連絡をいただいております。
- 野田哲
- 総務長官は、明日の靖国神社への参拝については私的行為として行われることであり、妥当な行為だと、こういうふうに考えていますか、いかがですか。
- 植木光教(総務長官)
- たしか十日くらい前であったと存じますが、宮内庁の富田次長から電話によりまして内々の連絡がございました。その際に、私はこの行為が公的な行為であるか、私的な行為であるかという確認をいたしました。宮内庁としては私的行為であるという旨のお話がございました。さらに今月の十八日に次長の来訪を受けまして、その際、十九日に正式の文書をもって行幸啓の連絡をいたしたい旨のお話がございました。その際にも、これは私的行為であるということの確認を受けたのでございます。十九日に正式の文書が宮内庁長官名をもちまして総理府総務長官にあてて参りました。これは行幸啓についての通知でございます。私的行為としてすでに終戦二十周年の際に靖国神社に御参拝になりました例もございますので、したがいまして、三十周年を記念して御参拝になるということにつきましては、同じ私的行為として妥当なものとして承知をいたしたものでございます
- 野田哲
- 総務長官は私的な行為として妥当な行為として了解をしておられたとしても、あなたは宮内庁の長官や次長と違って国会へ長い間籍を持っておられるわけですから、靖国神社の存在というのが、今日これを国家管理の神社にしていこうという運動が非常に長く存在をしておる、また、それに反対をする国民運動もある、国会の中でも数度にわたってこの法案が提案をされて大きな論争になり、政治問題になっている。こういうことを承知しながら今回の行為、私的行為であれば妥当なものとして了解をされているようないまお話があったわけですけれども、あなたが私的行為としてどう考えられようとも、結果的には天皇を靖国神社をめぐる政争の渦中に引き込む、あるいは天皇を政治的に利用しようとする勢力によって、これがどうあろうともこの行為が利用されるというふうに判断はされなかったわけですか、いかがですか、その点は。
- 植木光教(総務長官)
- 先ほど来申し上げておりますように、天皇の私的行為でございます。この私的行為についての定義と申しますか、性格につきましては、先ほど法制局長官からお答えがあったのを私も聞いておりまして、同様の理解をいたしております。
そこで、靖国神社への御参拝でございますが、確かに野田委員おっしゃいますように、靖国神社法案をめぐりましていろいろな問題が今日まで続いているということは、もちろん十分承知をいたしております。しかしながら、天皇が私的行為として御自身の御意思をもって靖国神社に御参拝になるのでございますから、したがって、その御意思はやはり私的なものとして妥当なものというふうに理解してまいるというのが私の立場でございまして、いまお話がございましたような、いわゆる政争の渦中に巻き込むとか、あるいは政治的に利用をするというようなことが、この御行為をもってあっては絶対にならないというふうに考えます。しかし、いま申し上げましたように、私的な御行為として個人の御意思で御参拝になるのでございますから、私の立場といたしましては、この御通知を、あるいは連絡を妥当なものとして承ったと、こういう状況でございます。- 野田哲
- いま植木長官はそういうふうに言われますけれども、八月十五日に三木総理が靖国神社へ参拝した。これはいま吉國長官も私的行為だということで強弁されておりますけれども、いかに私的行為だと言っても、あの当時のやはり国民の受けとめ方というか、靖国神社の国家護持を推進しようとする団体は、あの三木総理がいかに私人だと言ったって、総理が靖国神社へ参拝してくれたということをもって靖国神社国家護持の運動は一歩前進をするというふうに団体の機関紙などで評価をしておるんですよ、評価を。恐らく明日の天皇の靖国神社参拝についても、そういう形で取り扱う団体が絶対にないとは保証できないでしょう。これは保証できない。だとするならば、あなた方がどういうふうに理解をされようとも、明らかにこれは政治的に利用されたということになるではないですか。そういう懸念は一切持っていないんですか、政府の方では。どうですか長官。
- 植木光教(総務長官)
- 三木総理が個人として靖国神社に参拝をせられますことにつきましては、ちょうど稻葉法務大臣の発言問題の後でございましたので、慎重に対処すべきであるということで、私ども政府の統一見解を発表し、それに基づいて三木武夫個人の参拝となったのでございまして、これがどのように、だれによって評価されたかということにつきましては、私は遺憾ながら承知いたしておりません。そして、いまの問題について申せますことは、先ほど申し上げましたように、天皇の私的行為としての御参拝が政争の渦中に巻き込まれる行為となったり、あるいは政治的な利用が行われるというようなことでありましたならば、これはきわめて遺憾なことでございまして、その点については天皇の御参拝になります御意思にも沿わないことになるのではないかというふうに私は考えておるのでございます。
以下、国家護持(靖国神社法案・表敬法案)が争点となっている今、天皇陛下の参拝は、いくら私的であると言っても政治的意味合いを持つのではないか、天皇陛下の靖国参拝を自民党は法案成立に向けての世論作りに利用しているのではないかという攻防が続く。
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- 秦豊(参議院議員)
- その答弁では全く納得しろと言う方が無理なんです、あなた。いいですか、あなた政治的な影響云々と言われますけれども、五たび廃案になった靖国法案、それをすりかえようとする表敬法案、これからまた新しい政治の争点に多分になり得る法案なんですよ。動きなんですよ。天皇の私的行為が政治に何ら影響を与えないなんということはいまあり得ないんです。あなたがどうしても私的行為だと言い張るならば、天皇の公的行為の中に、あなた方がたしか列挙された中には、たとえば認証官の任命式から始まってずらずらっと並んで、日本武道館の戦没者追悼式への出席がありますね。ではなぜ戦没者追悼式への御出席が公的行為で、あすの靖国神社参拝が私的行為というふうに明らかに境界を截然と分けられるんですか。どうしてそういう論理ができるんですか。どうなんですか、無理じゃありませんか。
- 政府委員(法制局長官吉國一郎)
- 毎年八月十五日に日本武道館において行います戦没者追悼式、これは国が主催をいたしまして、去る大戦において国のために殉じた戦没者の霊を慰めるということで追悼の式を行うわけでございますが、その追悼の式の一つのプロセスの中に天皇陛下のお言葉をいただくことになっておりまして、もちろんその場合には、天皇は公式の立場において皇后陛下とともに御臨席になって、そこでお言葉をいただくわけでございますので、もちろん、これは公的な色彩がきわめて強く、天皇の公的行為と申して私どもはよろしいと思います。これに対しまして、靖国神社に明日御参拝になります場合の姿と申しますのは、もちろん警戒等においてはその地位からいたしまして当然一般私人とは異なるところがあると思いますが、お参りをされることそれ自体は何ら一般私人と変わるところはなく、靖国神社というものが、もちろん神道の施設ではございまするけれども、そこに従来国のために命を捨てた人が祭られてあるという事実に照らしてだけ天皇はそこに表敬をされるわけでありまして、私人がお参りをするのと実質においては何ら異なるところがない。ただ、警戒等においては、その地位からいたしまして当然一般の私どもがお参りをする場合とは違ってくることは、これはやむを得ないことであろうと思います。ただ、戦没者追悼式の場合においては、国の機関が主催をして行う一つの儀式の中の一段階としてと申しますか、一つの行事として天皇陛下がお言葉をたまうということで公的な色彩がきわめて強い。それに対して、靖国神社に明日お参りになる姿は全くな私的なものであるという区別があると思います。
- 秦豊
- (前略)・・・宮内庁で石橋の間で記者会見があったのはつい先日ですね。あのときに、日本人記者団とは初めての会見であったわけなんだけれども、その中にこんな一節があった。会見の終わりに近いところで、ある記者が、陛下はどんなテレビをごらんになりますかという質問を投げたら、そこのところだけが非常に肩がほぐれていて、そして、これに答えますと影響があるからという意味のことをやや笑いを含んで答えられた。あそこのところだけが人間天皇であると私は思っているんだけれども、あのテレビ番組の視聴態度についてさえ一つ一つの影響をおもんばかりになる陛下が、たとえ私的行為であるといっても、これほど政治の渦中に巻き込まれかねない靖国参拝というふうなことについて、非常にスムーズに、ごく安直に結論をお出しになったとは思えない。むしろ非常に宮内庁側の配慮というものが、かなりこれに優先していたのではないかと私は疑うんだけれども、富田次長いかがですか。
- 政府委員(宮内庁次長富田朝彦)
- 午前中にお答えしたことにも関連をいたしますが、陛下のお気持ちとして、八月十五日にもお述べになっておられるわけでございますが、今日までのいろいろな戦没された方々についていまだに心が痛むと、こういうことを繰り返し申し述べられておられるわけでございます。そのお気持ちを私的なお立場で、表敬と申しますか、参拝をされてそれをあらわしたいと、こういうお気持ちであろうかと私は考えておるわけでございまして、これは特に特段の意図があるというようなことは全くございません。また、先ほど総務長官が答えられましたように、私どもとしても陛下のそういう私的な御行為が政治的な渦中に巻き込まれる、そういうことがあってはならない、この点は厳しく考えておる次第でございます。
以下、少し同様のやり取りが続き、いよいよクライマックス(その3)へ。





