良性の軍事クーデター

2010年08月17日

中共解放軍の建軍記念日に当たる8月1日付の胡錦濤の御用新聞『中国青年報』が掲載した記事をば。

6月27日明け方、私服姿のギニアの軍人が基地の外にある投票箱の前に並んで投票を行った。これは西アフリカの軍事政権国家が1958年に独立してから初めて行われた民主選挙である。

24人の大統領候補者に現役軍人はおらず、民権政府がギニア軍政府に取って代わった。軍事クーデーターによって政権の座についたギニア軍政府の指導者セクバ・コナテは投票を行った際、「私の心の中は誇りで満ち溢れている、私は国家の団結と統一の実現を訴えたい」コテナは、民選政府が生まれた後、自身は政界を引退することを既に約束している。

選挙の日は秩序的で、平静で、選挙監視に参加していたアメリカ駐ギニア大使館は「非常に素晴らしい」と選挙を賞賛した。しかし、軍政権が”民に政府を返す”ことが、”選挙→軍事クーデーター→軍事政権→選挙”というアフリカの国家の悪循環を打破することができたのかどうかは、しばらく見守らなければならない。

軍事クーデータ:”亡霊”はアフリカにまた帰ってきた

アフリカにおいて、軍隊の指導者が”銃”を頼りに現政府を倒し政権を奪取することはよくあることだ。1950年から60年代、に半数近くのアフリカの国家が独立し、民主選挙を行った後、すぐに軍事クーデーターが発生し、軍事政権によるパニックに陥っていた。

過去50年、アフリカで発生し”成功した軍事クーデータ(最終的に現政権を倒すことができた軍事クーデター)”の回数が減り続けていることをデーターは示している。1960年代が27回、70年代が30回、80年代と90年代がそれぞれ22回、2000年から2008年8月までは、たったの5回である。

しかし、ここ1年の間に、マダガスカル、モーリタニア、ギニア、そしてニジェールと軍事クーデーターが発生し、トーゴとギニアビサウでは”クーデター計画”が失敗したと公表された。一連の軍事クーデーターは、反乱や政治的殺人事件が引き金とアフリカの民主化プロセスを後退させるパニックを発生させている。汎アフリカ政治運動協調官員・迪奥・盧ka穆茨は「軍事クーデターの亡霊はアフリカに再び帰ってきた」と述べている。

最も最近発生したいくつかの軍事クーデターと反乱では、軍人が民選政府の腐敗と無能を叱責し総選挙を再度行う、あるいは憲法改定前に発動されたものや、長期の部族対立の為に軍隊が政権を奪い禍根を鎮めたりといったケースである。現在のアフリカ地域の軍事クーデーターは小国や貧しい国々で発生しているが、アナリストは、これらの成功した政変は周辺の大国の軍事力が起爆剤となっており、軍事クーデターの”伝染”を招いているとしている。

ここ10年、クーデターによって政権奪取したアフリカの軍事政権は例外なくアフリカ連合から制裁を受け、軍事政権の指導者はアフリカ連合のあらゆる会議に参加できなくなっている。モーリタニアの軍事政権は更にアフリカ連合、EU、そしてアメリカの共同制裁を受けている。しかし、これらの政権奪取した後、一定期間で選挙を行い、”政治を民に返す”軍事政権に対して、国際社会では論争が行われている。

軍事クーデターによって政権の座に着き、40年以上になるリビアの指導者カダフィは、ギニアの軍事政権は国際的承認を得るべきであると公言していた。セネガル大統領アブドゥライ・ワッドも、アフリカの軍事政権を孤立させる意義はなく、彼らとの協議を呼びかけるべきであると述べている。

ワッドの軍事政権への”友好”は、2000年のセネガル大統領選挙に理由があるかも知れない。当時、彼はセネガル大統領選挙で勝利し、軍は当時の大統領であったアブドゥ・ディウフが選挙結果を尊重しない場合は、軍事クーデターを発動する可能性があると警告し、ワッドの就任を確保したという出来事があった。

アフリカにおける軍事クーデーターとは、暴力によって暴力を生み出しているのものなのか、民主を保障しているものなのか、それとも憲法を軽視しているものなんか、いや民主を踏みにじっているものなのか、論争が尽きることがない。

暴力によって暴力を生み出す:”良性”軍事クーデターとは?

アフリカの国々で最近数回、成功している軍事クーデーターは、多かれ少なかれ国民の支持を獲得し、尚且つ軍事政府が”民主の回復”を約束している。アナリストは、軍事政府がクーデター発動を成功させるには、民主政府が既に破綻しており国民の新任を失っているからであると見ている。

イギリスのオックスフォード教授・保爾・科里爾は、多くの最貧国において、”不安にさせる事実”のひとつは、軍事クーデターは権力の濫用を制する最も有効な手段であるということであるとしている。

「指導者たちが本当に恐れているのは軍隊であり、選挙に比べて、軍事クーデターによる”暴力によって暴力を生み出す”方が、より簡単に非民主的な指導者を失脚させることができるからだ」と科里爾は言う。

彼は、アフリカの多くの国家は、多党制を採用し与党の行動に制約を課しているが、与党がひとつの党が担っている場合は、賄賂や恐喝、欺瞞などの手段で長期にわたり政権を独占しようとするとしている。このため科里爾は最近、”良性軍事クーデーター”という概念を生み出し、アフリカの国家で発生している軍事クーデーターは国民に有利であり、国民の支持を得ているとしているのだという。

科里爾の視点は、一部のアフリカの国の軍事政権指導者の支持を得ている。ナイジェリアの退役陸軍准将で現在下院議長であるデビッド・マークは、軍事クーデーターは国民の腐敗した民選政府への反対のためであり、更には軍事政府はひとつの方法を提供するものであると述べている。

「ほとんどの国家で、もし広範な民意の基礎がなければ、軍事クーデーターは成功しなかっただろう」と彼は言う。

今年2月、ニジェールで軍事クーデターが発生した際、多くの民衆が軍隊を支持した。当時の大統領タンジャが3期目を狙うため、憲法を改正し大統領が無制限に再任され続けることを可能と規定することを推し進め、国内の強烈な不満を引き起こし、軍事クーデターだけがニジェールで続く貧困を阻止する方法であると皆が思ったのだ。

ニジェール軍の指導者で現在の大統領であるサル・ジポは、政府を解散すると同時に民主を復活させることを約束し、あわせて自由で公正な選挙を行うことを約束した。ジポが約束を果たせば、ニジェールには、民主選挙が行われたばかりのギニアのように、軍事政府の”援助”によって民主の道を歩むこととなるだろう。ニジェールの政変と似ているのは、ギニアで軍事クーデターが発生した後、軍政府指導者カマラ大尉が一時的にギニア国民の支持を得ていたという点だ。

しかし問題なのは、軍事クーデーターは一発のミサイルも使わずに腐敗したし政権を葬り去ることができるが、民主政権をも転覆することができるということだ。

科里爾の”良性軍事クーデター”理論は、軍隊が選挙の不公正、政府の腐敗などを理由に正常な政府に転換させることをある程度促す結果となっていると指摘する者もいる。

前アメリカ駐ナイジェリア大使ジョン・キャンベルは、平和的にしろ暴力的にしろ、善、あるいは悪い政府を転覆させる軍事クーデターは、民主と対立するものであるとしている。キャンベルは長期にわたるナイジェリアでの仕事の間、15年間で軍事政権による政権奪取の治世において、3人の軍事独裁者は皆民主の復活を約束したが未だに実現されていないという。

政の民への返還:軍事クーデーターの”試金石”

アナリストは、軍事クーデーターによる政権の転覆が国民の支持を受ける以外に、軍事政府が民選を組織したり、政界から退出するなどの手段によって約束どおりに”政を民に返還”できるかどうかで、その軍事クーデターが”良性”であるか”悪性”であるかの試金石であると見ている。

ニジェールの政変の後、軍人がすぐに非軍人であるマハマドゥ・ダンダを政府の総理に任命し、選挙の実施を約束し、軍人は選挙などに参加せずに民主を復活させると約束した。これらの行動派全て軍事政府が”政を民に返還”したいという願望を示したものである。

ニジェール国内の野党、西アフリカ経済共同体、アメリカは、軍事政府にすぐに憲政を回復するように催促し続けているが、現在までのところ、軍側は選挙の工程表を未だに発表していない。ニジェール全国諮問委員会による立法、大統領選挙、新たな議会の開催日程を、軍事政府の”民主復興最高委員会”はなんら回答していない。これではクーデーター首謀者の”政の民への返還”という決心を疑わざるを得なくなる。

”政の民への返還”という試金石の前で、ギニア軍政府指導者カマラ大尉は、反民主の本性を露呈させた。2008年、カマラは軍事クーデターを発動しギニアの政権を奪い、同時に民選政府に席を譲ると約束したのだが、彼の約束はなかなか果たされることはなかった。2009年、カマラが指揮する部隊が157人の反対派を殺害し、軍政府が偽者の民主で、本当は独裁であることをくっきりはっきりとさせた。

アメリカの著名な顧問会社である欧亜グループのアナリスト斯比諾・加爾布拉赫は、西アフリカおよびアフリカ全体の政治的混沌は、指導者が長期間の執政を求めていることに関係があるとしている。「もし長期政権を制限を加えなければ、政権更迭の安定的な譲渡構造は形成されにくく、地域は安定しづらくなる」と彼は言う。

1990年代から、軍事クーデターにより生まれた軍事政権からみんせん政府に順調な権力の移行を実現させたアフリカの国家はナイジェリア、ギニア、ベナン、ブルキナファソ、ガーナ、リベリア、シオラレオネ、マリなどがある。その中で、ガーナは、アフロかで”軍権から民権”のモデルケースとして賞賛されている。1957年に独立し、ガーナは一連の軍事クーデターを経て、最終的に軍事政府の権力から民選政府への転換を実現させ、西アフリカの民主の手本となった。

軍事政府から民選政府への移行を繰り返す中で、ガーナの軍隊の地位と役割は少しずつ変化していった。ガーナは衝突予防部隊将校・厄瑪努爾・阿寧は「今のところガーナの中間層以上の将校仕官は、暴力と軍事クーデーターは国家に危害を加え、部隊の利益をも傷つけるものであると認識している。そして軍隊は民選政府が軍隊と警察とをコントロールするという理念を受け入れている」と語った。

彼は、現在のガーナ軍はアフリカでの平和維持任務を実行しており既に政治とは遠く離れていると述べた。

ギニア軍政府の指導者コナテは、民選指導者が誕生したら自身と軍隊は政界から退出し、絶対に政治に干渉しないと何度も繰り返し述べているが、国際危機組織西アフリカプロジェクト主任・理査コ・蒙克里耶夫は、新たな政府には、少なくとも軍隊に妥協し、譲歩を行うだろうと述べている。

新大統領は軍隊の支持を得ようとすることは避けられず、政府の軍事予算の透明化などの方面の方策に影響を及ぼすだろう」と彼は言う。

アナリストは、ギニアで選挙が順調に終わっても、軍隊が全て政治から退出することができるかどうか、憲政と民選政府を尊重することができるかどうか、これが軍事政府の本当の試練であると述べている。

中国青年報「“良性軍事政変”難給非洲帯来緩定和民主

どうして8月1日に記事にしたんですか?他の日じゃダメだったんですか?

新華網あたりも転載しております。

共産党独裁も一時的な混乱を乗り切るための暫定的な処置ということではなかったですかね。

ということで、この記事のカテゴリーは「国際情勢」ではなく「中国」に。

おまけ

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posted by タソガレ at 00:09 | Comment(0) | TrackBack(1) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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良いクーデターなんてないのだ!どの口が言うんだの不思議社説=ブログ「中南海ノ黄昏」紹介

Excerpt: 中国紙の社説など長文記事の翻訳紹介を積極的にやっているブログ「中南海ノ黄昏」の17日付エントリー「良性の軍事クーデター」が面白い。今回紹介されているのは、「中共解放軍の建軍....
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Tracked: 2010-08-17 22:12