政権交代マダァ?(・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン
表題件を香港紙『明報』より。
今日は深セン特区成立30周年記念日で、盛大に深センを祝うと予想されていたが未だに何の活動報告もなく、国家主席・胡錦濤が南下し祝賀行事に参加するとずっと噂されてもいたが、未だに現れていない。
11月に特区周年記念を行った先例
深セン特区の10周年記念と20周年記念行事は、それぞれ1990年と2000年に行われ、当時中共総書記であった江沢民は南下し両方の記念大会に参加したが、この2度の記念大会は8月ではなく11月に行われた。10周年記念大会は1990年11月26日に行われ、江沢民が、副総理・田紀云、書記処書記・温家宝、そして全人代副委員長・習仲勲、政協副主席・谷牧一同を率い南下し出席し、香港kらは霍英東、李嘉誠、安子介、査済民、庄世平、黄克立、胡応湘、楊光、羅徳丞などが出席した。この年は「六四」からちょうど1年が経ったばかりで、ケ小平はまだ「南巡」しておらず、江沢民は深センの評価については比較的慎重で「経済特区設立の実績は成功であり、改革開放を実行するという全体的な方針は完全に正確なものである」と述べるのとどまった。しかし、自ら出席し挨拶したという行動から見て、ケ小平が決定を下した特区設立に対して重視していたことがわかる。
「江沢民の定めに従う胡錦濤」と噂されるだろう
深セン特区20周年記念大会は2000年11月14日に行われ、会議は当時の深セン市長・幼軍が主催し、江沢民が再び副総理・銭其シン、書記処書記・曾慶紅らを率いて出席した。江沢民は会議の席上、長編の講話を発表し「経済特区は中国の改革開放と近代化建設の全過程を貫いている」、「この素晴らしい改革開放と近代化建設の先駆者であり続ける」と深センを激励した。
上述した先例があり、もし30周年祝賀行事に胡錦濤が現れなければ、中央の特区政策の持続性に対して疑問が生じることとなる。胡総書記は深センにこれなかっただけで、あるいは行事を数日遅らせるのかも知れない。深センは1979年11月に恵陽地区管轄下から省直轄市となり、1988年11月に計画単列市となり省レベルの経済的権限を授けられ、だから深センの誕生日は11月であると強弁することもできるが、最も重要なことは、秋空が高くさわやかな11月の深センが1年の中で最も良い季節であるということである。
孫嘉業
明報「中國評論:深[土川]慶典尋覓胡總身影」
なんだろうこれ。どうしたんだろう『明報』。
チベットで官民衝突
チラッと見かけたニュースをメモ。
四川省甘孜チベット区で先週火曜日、村民が当局の過剰な採掘に対して抗議を行い、警察と住民の激しい衝突が発生し、チベット人3人が射殺され、30人以上が負傷、うち5人が重症を負った。
ノルウェーの『チベッtの声』の報道によると、白玉県の村民は、ここ最近、当局の過剰な採掘に不満を抱き続けていたところ、当局が更に採掘規模を拡大したという。地方村民・扎西桑布は村民を代表し当局に対して採掘を止めるよう請願書を送った。100人ほどの村民が先週火曜日(17日)に県政府まで回答するよう要求したが、軍警の発砲により鎮圧され、3人が死亡し30人以上が負傷した。
報道は更に、当局は数名の請願に参加したチベット人を逮捕し、現在、白玉県政府のある町には多くの軍警が駐屯し、各通りで通行人を厳しく取り調べているとも報じている。
RFA「甘孜藏民請願三人被軍警開槍射殺」
チベット自治区は未だに外国人記者による取材が規制されていて外交部の記者会見で記者らに突っ込まれていましたが、自治区外のチベット居住地域はどうなんですかね。
- RFA「甘孜抗議藏民被槍殺後局勢持續進緊張」






中共人事を悉く的中させたあの『明報』がねぇ・・・と。
胡耀邦に繋がるきれいな胡錦濤を再び夢想でもしていたのでしょうかね。
それともケ小平を美化しすぎて眩しく目がくらんだのでしょうか。
『明報』以外の記事をろくに漁っていないのでこの辺りの雰囲気は想像でしかないのですが。
想像ついでに更に想像を逞しくするなら、
北朝鮮の金さんの突然の中国訪問は、日本では北朝鮮の後継者披露だろうなんて報道されていますが中国側からすればアメリカとの海洋衝突の動きの一貫でしょうね。
突然の訪中はアメリカ空母の黄海侵入を阻止したと鼻息の荒い軍強硬派が主導したのかも知れません。
そして今日、中共海軍が9月1日から4日まで青島の東南海域で実戦演習を行うと発表しております。
http://news.xinhuanet.com/politics/2010-08/29/c_12494872.htm
青島の東南海域って黄海ですな。
さすがに発表では「黄海」という文字は使っておりませんが「青島東南は日常的に訓練している海域」と断りを入れていたりします。
あー、中共ヲチから離れていた半年ほどが悔やまれる。