習金平は中二病か? その1

2010年11月04日

胡錦濤、温家宝の次は習金平の最近の講話をば。

10月25日に行われた朝鮮出兵作戦60周年記念座談会の席上での講話。

習金平が中二なのか、支持層が中二なのか、悩ましい。

ちなみにこの講話、新華網の習金平の活動報告のページの中の「重要講話」の中になぜか掲載されておらずGoogle検索で新華網内から拾ってきたものです。

の前に、最近、時系列をむちゃくちゃにメモしているので周辺の出来事と共に少し整理をば。

  • 8月21日:温家宝深セン談話
  • 9月6日:胡錦濤深セン談話
  • 9月7日:尖閣沖不法操業公務執行妨害船長逮捕
  • 9月24日:不法操業公務執行妨害船長の釈放
  • 10月8日:ノーベル平和賞の発表
  • 10月15日〜18日:五中全会
  • 10月25日:習金平抗米援朝は正義なり←今回のエントリ
  • 10月27日:『人民日報』温家宝を攻撃か?!

では講話をどーぞ。長いよ。

同志たちよ

今日は、中共中央宣伝部、中華人民共和国外交部、民生部、中国人民解放軍総政治部、そして北京市が、座談会を挙行し、中国人民志願軍抗米援朝出国作戦60周年を厳かに記念する。我々は、中国人民志願軍の偉大な愛国精神と革命英雄主義の精神とを学習し発揚に努め、中国の特色ある社会主義の偉大な事業推進の為によりいっそう奮起しなければならない。

平和を愛することは中華民族の優秀な伝統である。近代以来、帝国主義列強の侵略による害と蹂躙の苦しみを中国人民は大いに受け、侵略戦争の野蛮さ、平和を維持することの尊さを非常に深く理解してきた。60年前に発生したあの戦争は、帝国主義者が中国人民に強いたものである。朝鮮内乱勃発後、米国トルーマン政府は横暴にも派兵し武力干渉を行い、朝鮮に対して全面戦争を発動し、中国政府の度重なる警告を顧みず、38度線を越え、中朝国境の鴨緑江とトマン川に迫り、飛行機を出動させ我が国の東北国境の都市や農村を爆撃し、新たに生まれた中華人民共和国の国土にまで戦火を拡大させたのだ。

この緊急の瀬戸際、朝鮮党と政府の要請に応じ、中共中央と毛沢東同志は将来を見据え、時勢を推し量り、毅然と抗米援朝、国家防衛の歴史的政策決定を行い、何をも恐れない英雄的気概を以って、平和防衛の歴史的使命を果敢に承諾したのだ。1950年10月19日、我が英雄の中国人民志願軍将兵は、司令員兼政治委員・彭徳懐同志の指揮の下、民族の期待を背負い、平和防衛、反侵略という正義の旗幟を高く掲げ、雄雄しく意気揚々と鴨緑江を越え、朝鮮人民と軍隊と一緒に2年9ヶ月の死を恐れず血を浴びる奮戦を経て、抗米援朝戦争の偉大な勝利を獲得したのだ。これは中朝両国人民と軍隊の団結の偉大な勝利であり、世界平和と人類の進歩的事業の偉大な勝利である。

60年来、中国人民は一世代上のプロレタリア革命化と中国人民志願軍が正義を守るため、強健樹立に反対した不朽の歴史的勲功を忘れたことはなく、党中央と毛沢東同志が当時、中国人民志願軍出国作戦という重大な政策決定を行った歴史的作用と深遠な意義とを終始忘れることはない。この時、この瞬間、我々は毛沢東同志、周恩来同志、劉少奇同志、朱徳同志、ケ小平同志、陳雲同志、そして彭徳懐らの人世代上のプロレタリア革命化に対して、心の底から懐かしさを示さなければならない!

60年来、中国人民は気宇壮大な英雄賛歌を歌い、人類戦争史上で弱者が強者に勝った輝かしい例を築き上げた志願軍将兵、そしてこの戦争の勝利に貢献した人々を終始忘れることはない。ここで、私は党中央、国務院、中央軍事委員会を謹んで代表し、健在である志願軍老戦士、老同志、傷痍栄誉軍人に対し、当時抗米援朝戦争を支援した全国各民族人民、特に参戦した前線人員を支援した者に対し、志願軍の家族と遺族に対し、最高の誠実な慰問と崇高な敬意とを申し上げる!今日、一部の志願軍英雄の代表と老戦士たちも座談会に参加しており、我々は熱烈な拍手を彼らに送り敬意を示します!

60年来、中国人民は、朝鮮の大地に鮮血で紅く染まったつつじを満開にさせた烈士たちを終始忘れることはなく、彼らの英名は永遠に歴史に語り継がれる。

60年来、中国人民は、中朝両国人民と軍隊の鮮血で凝固させた偉大な戦闘の友誼を終始忘れたことはなく、朝鮮政府と人民への関心、愛護、そして積極的に支援した志願軍の感動的な情景を忘れたことはない。

60年来、中国人民は当時積極的に中国人民志願軍の朝鮮入り作戦を積極的に支援した旧ソ連政府と人民、世界中の全ての平和を愛する国家と人民、友好的組織と友好的な人々を終始忘れたことはない。ここで、私は中国の党、政府、軍隊を代表し、彼らに対して心かの感謝を示します!

同志たちよ!

抗米援朝戦争は、第二次大戦終結後最初の大規模な国際間局地的戦争で、双方が戦場に最も多くて300万人ほどの兵力を投入したものだ。交戦した双方の武器総武レベルは極めてかけ離れていた。全て先進武器を使用したアメリカ軍は、戦場の制空権、制海権を掌握し、その地上部隊も全て機械化されていた。対して中国人民志願軍の基本は、歩兵と少量の砲兵作戦に頼り、武器装備は相当後れ、後期に参戦した少量の空軍も後方の主要な輸送線や局地的な空中作戦を戦うのみで、直接地上部隊の作戦を支援することはできなかった。

このように極めて非対称的、極めて困難な状況の下、朝鮮人民軍と肩を並べ作戦した中国人民志願軍は常に輝かしい勝利を獲得していた。1950年10月25日から1951年6月10日まで、中国人民志願軍と朝鮮人民軍は密接に協力し、両水洞での緒戦、雲山城での激戦、清川江での会戦、長津湖での激戦など、5回の戦役を連続で行い、侵略軍を鴨緑江、トマン江付近から38度線付近まで押し返し、一挙に朝鮮北部の広大な土地を回復し、この反侵略戦争での勝利の基礎を打ち立てた。その後、強固な鉄壁である深い防衛陣地を構築し、敵の重点的な侵攻と細菌戦を何度も粉砕した。中朝軍は38度線付近で安定し戦うだけでなく、何度も侵攻的戦役をも行い、侵略者に停戦の談判をするよう迫った。堅忍不抜の戦闘を経て、中国人民志願軍と朝鮮人民軍は帝国主義侵略者に強烈な打撃を与え、彼らは1953年7月27日に停戦協定に署名さぜる得なくなった。

偉大な抗米援朝戦争は、平和を守り、反侵略の正義の戦いである。中国人民志願軍の力の源とその勝利を得た根本的な原因は、偉大な抗米援朝闘争の正義性にある。60年前、中国人民は忍ぶに忍べない状況の下、抗米援朝の志願軍を毅然と派遣したことは、完全に平和を守り、侵略に抵抗する正義の行いであったのだ。だから、志願軍将兵の勇敢に戦う旺盛な闘志と高い士気を有し、不断に人々を驚かす、鬼神をも泣かせる戦争の奇跡を生み出すことができたのだ。この正義の戦いは、全世界の平和を愛する国家や人民の同上と支援、援助を受け、最終的に正義の師が戦争の勝利を獲得し、帝国主義の拡張勢力範囲の展開を混乱させ、アジアおよび世界の平和を守ったのだ。事実が証明していることは、覚醒し、祖国の栄光、独立、そして安全の為に奮起し戦闘する民族は必ず勝利するのだ!

偉大な抗米援朝戦争は、新中国の国威と人民軍の軍威とを打ち出し、弱者が強者に勝利するという事例を生み出したのだ。抗米援朝戦争の勝利は、敵と我が力とがかけ離れた条件の下で得たものなのだ。アメリカ軍は核兵器を除く所有するあらゆる新型武器を使用し、陸軍の3分の1、空軍の5分の1、海軍の大部分の兵力を戦争に投入もしていたのだ。中国人民志願軍将兵は、劣勢なる装備で死力を尽くし闘ったのだ。彼らは摂氏マイナス30度もの極寒を冒し、白雪の険しい山々を縦横無尽に駆け回り、先人の屍に続いたのだ。無数の兵士が重傷を負い、血の海から敵に立ち向かい、更には自らの体で敵の銃口を塞ぎ、たとえ戦いでたった銃ひとつ身ひとつになろうとも、陣地を堅守し、頑強に敵と最後まで血戦したのだ。”空中絞殺”という敵の反撃の最中、彼らは絨毯爆撃と厳しい封鎖を冒し、打ち破れない、爆破できない鋼鉄の輸送線を構築したのだ。”空中白兵戦”という勇猛な戦闘の中で、彼らは大空と戦い、世界空戦史上の奇跡を生み出したのだ。彼らの中から、楊根思、黄継光、邱少雲等の30数万人の英雄功臣と6000の功労者があふれ出たのだ。彼らは中華民族の英雄子女として恥じない、祖国の安全と世界平和の強固な衛兵として恥じることない、”最可愛的人”という光栄な称号にふさわしい者たちである。

(続く)

新華網「習近平:在紀念中國人民志願軍抗美援朝出國作戰60周年座談會上的講話

ジーク・ジオン!ジーク・ジオン!

と以前にこのブログで記したことがあったなぁ〜という淡い記憶で検索をかけてみると、3年ほど前の下記のエントリで記していました(笑)

「嫦娥」は置くとして、次期トップとされる人物が、この微妙な時期に、微妙な題材で、ここまで露骨な歴史観を披露しちゃうものなんですかね。

韓国でニュースになったようだけど、アメリカは中間選挙でそれどころじゃなかったのでしょうかね。

続きます。

(タイミング良くなのか悪くなのか、嫦娥2号が墜落したつー未確認ツイートが流れてきたw)

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posted by タソガレ at 23:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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