四川の暴動に社会基盤の崩壊を見る

2006年11月14日

四川で暴動発生。通常より少し規模が大きい模様。

中国・四川省広安市で10日、治療費の不足を理由に治療を拒否し、男児を死なせたとして住民らが病院に押し寄せ、施設を破壊するなどした。13日付の香港各紙が伝えた。警察との衝突で学生2人が死亡したとの情報もある。

報道によると、誤って農薬を飲んだ男児が7日、同市第2人民医院に運ばれたが死亡した。遺族は「治療費800元(約1万2000円)の支払いを要求されたが、持ち合わせがなかった。すると病院側は治療を拒否した」と主張。10日夜、病院施設や警察車両を壊し、警察は催涙弾で応戦したという。同市は「治療を拒否した事実はない」としている。

中国では、国有企業の解体などで職場を基礎とする社会保障制度が機能しなくなり、治療費を支払えない人々が増加。病院の患者受け入れ拒否が社会問題化している。

朝日新聞2006年11月13日19時30分
中国・四川省で住民が病院施設破壊 「治療拒否で死亡」

大紀元などには写真が掲載されており、一説には戒厳令が敷かれているとの報道もあります。

で、今回の暴動のきっかけは、よくある失地農民が暴れたといった土地収用絡みではありません。母親が医療費の持ち合わせがなく適切な治療が迅速に行われずに子供が死亡したことに端を発しています。この病院側の不手際を両親が訴えるも病院側が支払ったのは500元(約8,000円)のみ(PS3の闇価格の16分の1)。

これが、弱者を虐げたとして民衆の間に普段から溜まっていた当局などへの不満に引火、爆発したということのようです。小さな火花が大きな暴動へ発展するという典型的な事例でしょうか。

大変不思議なことなのですが(笑)朝日の記事の最後の一文に、今回の暴動の背景が見事に綴られています。

中国では、国有企業の解体などで職場を基礎とする社会保障制度が機能しなくなり、治療費を支払えない人々が増加。病院の患者受け入れ拒否が社会問題化している。

朝日新聞2006年11月13日19時30分
中国・四川省で住民が病院施設破壊 「治療拒否で死亡」

今回の暴動は、中国の社会基盤が崩壊してしまっている様子を見事に具現化した暴動であると思います。以下、『大地の咆哮』より引用してみます。時々「ん?!」と引っかかる箇所もありますが、中国の抱えている問題点が記されており、なかなか勉強になる著書であると思います。ちなみに上海領事館員自殺についての記述は一切なく、当局や公安との確執などもほとんど触れられていません。

崩壊する単位社会主義

現在、中国では義務教育が九割がた普及しているといわれているが、北京郊外ですら、家が貧しくて小学校にも行けない子供たちがたくさんいるわけで、ある意味で真っ赤な嘘だ。

そもそも義務教育といっても、国が費用を負担しているわけではない。いまになってようやく「国が義務教育を見るべきだ」などといい始めているレベルにすぎない。

じつは中国では、義務教育費用の七割以上は受益者負担であり、貧しい農民に授業料や教科書代金を払わせているのである。都市住民が暮らす人口過密地帯は別にして、人口が分散している地方では、寄宿舎に子供を入れなければ、物理的に教育を受けさせられない。

田舎に住む農民は、子供のために寄宿舎代を払いたいが払えないという図式があるわけで、義務教育が普及しているとはいえない。(後略)

大地の咆哮(p.51)

昨年末に西部地域の義務教育費免除というような政策を発表していたように記憶しますが、どこまでの費用を免除しているのか明確な規定がなかったように思います。その政策の内容はともかく、義務教育費除を大きな飴として掲げている姿に「無料じゃなかったのかよ」と驚いた次第。来年には中部、東部地域にもこの政策を拡大するとか。

引用を続けます。

このように、以前に比べて基本的な社会生活がひどく揺らいでおり、そのことはすなわち、中国特有の「単位社会主義」が崩壊寸前であることを示している。

かつての中国人が初対面の相手に示す最大の関心事は、「あなたはどこの単位に所属しているのですか」ということであった。これは日本人の「あなたはどこの会社に勤めていますか」ということ以上の意味合いを持っている。

たとえば、私が学んだ遼寧大学という「単位」は、一つの社会ないしコミュニティーを構成しているわけである。遼寧大学という「単位」は勉強する学生だけでは機能しない。大勢の教員が存在して、彼らの家族、あるいは親戚が一緒に暮らしている。

さらに、大学で消費される食料を作るための農民がいて農場がある。学内のさまざまな施設のメンテナンスや増改築を行う職人や技術者がいて工場がある。病院があり、託児所があり、それから墓場まであって、ないのは焼き場ぐらいのものだった。まさに「揺り籠から墓場まで」の施設と人員が遼寧大学という「単位」の中に自己完結して存在していた。大学と同じように、国有企業も人民公社も、それぞれの単位ですべてを賄ってきた。

大地の咆哮(p.51-p.52)

これには私も当初驚きました。大学がひとつの完全な町なのですよ。大学内ですべてが完結しているので外に出る必要がないのです。大学で働いている人も大学内に居を構えています。

「ないのは焼き場ぐらい」と記されていますが、火葬という文化は未だにあまり根付いていないようですし、当時(著者の研修時代:1974年前後)は火葬は一般的でなかったでのはないでしょうかね。

参照
墓を暴いて死者をその場で焼いてしまう党幹部

閑話休題。

ようやく、今回の四川での暴動の原因の核心に。

国家からの横断的な社会保障はないけれど、工場労働者は国有企業という社会の中で一生を完結できる仕組みになっていた。遼寧大学という単位においては、学生は当然卒業していくが、大学に所属している人間は定年退職しても大学の敷地内に一生住み、国家からの支援を頼りにしてきたのだ。

ところが、八〇年代に改革・開放政策が始まってから、徐々に「学校は学校」「工場は工場」という具合に、本来の役割を限定し、それぞれの単位が負担してきた社会的受け皿を外し始めたため、中国の社会保障全体の仕組みが急速に崩れてきた。

まず最初に崩れたのが医療保険だった。従来はそれぞれの単位が、属している人たちのすべての医療保険の面倒を見ることになっていたのが、いまは給与の中に医療手当てを一定額支給するのみとなった。だから、病気をしない人はそれでいいが、病気をした人は一回か二回病院に行くと、医療手当てを使い果たし、あとは自己負担しなければならない。

大地の咆哮(p.52-p.53)

少し大きな病気や怪我をすれば高額な負担がのしかかってくるということでもありますね。

このような社会保証制度の崩壊ともに都市住民と農民との厳しい格差、差別が存在しており、農民はまさに都市生活者の奴隷となっている様が別章に記されています。機会があれば紹介したいと思います。

上海閥攻撃の足がかりとなった社会保険基金事件の背景に繋がりそうな話が続くので、もう少し引用してみます。

さらに深刻なのは、日本以上に基金が破綻している年金問題である。

中国の隠れた不良債権問題とは、じつは年金問題のことで、日本以上のスピードで高齢化社会が進んでいる中国では、いまの受給者が、現役世代が支払っている分をすでに食い潰しているのである。現代世代が年金受給者になるころ、いやそうなる前に、破綻するのは目に見えているわけだ。

そのうえに、単位ごとに年金を積み立てて各人に還元してきた仕組みを解体する過程で不祥事が続出している。たとえば、国有企業が民営化する際に、従業員たちが積み立ててきた年金基金が消えてなくなるといった事件が各地で起きている。

これこそ国民の生活を直撃する大問題であり、中国が毎年一〇%近くの高度経済成長を遂げながら、国内消費はそれほど伸びていない理由の一つでもあるのだ。

大地の咆哮(p.53)

あー、そういえば黄菊、未だに北京に姿を見せませんね。さてさて。

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posted by タソガレ at 23:45 | Comment(3) | TrackBack(0) | 暴動・衝突・争議 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
「單位」といふのは…
現代の「小國寡民」思想なんでせうかね?
Posted by 初老東洋 at 2006年11月15日 01:26
「単位」(dan wei)は、いわゆる「改革開放」政策によって壊されたと見るべきではないでしょうか?なぜなら「単位」こそシナ式社会主義の根幹であり、「communism」の基幹となる「community」がまさにそれであったからです。逆に言えば、「単位」を壊さねば「改革開放」もできなかったということでしょうか?
Posted by マルコおいちゃん at 2006年11月15日 05:59
> 初老東洋さん。
こんばんは。
「小國寡民」とは初めて聞いた言葉なのですが、老子の言葉なのですね。ひとつ勉強になりました。
「単位」とは、毛沢東がゲリラ戦の中で自給自足社会を理想としし具現化したものである、といった説明を聞いたことがあります。人民公社しかり。
この思想が直接老子からヒントを得たのかどうかはわかりません。ただ、毛沢東が北京入りした際に帯同した書物は中国の歴史書を始めてとした古文であり、その中にマルクス・レーニンの著書はなかったという話があります。

> マルコおいちゃんさん。
そうですね。
おっしゃるように「改革開放」が「単位」を破壊したと。
「単位」が破壊されたことでそれまでのルールも破壊され、それに変わるルールが「富める者から豊かになればいい」ではカオスです。ルールなきデスマッチ社会といったところでしょうか。
このあたり、もっと勉強せねばと思っております。
Posted by aki改めタソガレ at 2006年11月15日 23:10
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