きんとー君もお気に入りの『白洲次郎 占領を背負った男』より、以前「昭和の日」で紹介したものの前段、講和締結前夜をば。
吉田や次郎の努力の甲斐あって、日本の生産力はみるみる戦前の水準を回復し、今やそれを凌駕しようとしていた。食べることの心配がようやくなくなり正気に返ってみると、主権の無い惨めさが身にしみてきた。国民は長引く占領状態にはもうあきあきしていたのだ。”早く講和を”という声が国内に満ちていた。
(中略)ところが講和交渉の当事者である外務省内でさえ一枚岩ではなかったのだ。条約局長の西村熊雄(後のフランス大使)が単独講和を主張すると、課長クラスは一斉に反発。すると西村は全面講和にも一定の理解を示す発言をするなど、実際に国の舵取りを任されている吉田からすれば、
(中略)
「いつまでも議論していろ!」
と言いたくなるのような様相を呈していた。
(あいつらは講和を急ぐことの重要性がまったくわかっとらん!)次第に吉田は秘密主義に走りはじめる。秘密主義はマスコミに対してのみならず、外務省に対しても向けられた。
(中略)こうして昭和二五年(一九五〇年)四月二五日、池田とともに次郎は渡米した。これは後に”池田ミッション”と呼ばれ、その内容は長くベールに包まれていたが、講和を現実のものとして引き寄せた重要な会談であった。
(中略)渡航を前にしてGHQに届出を出した池田は、
(中略)
「拇印を押せ」
と言われて耳を疑った。
(一国の大蔵大臣に、サインだけでなく拇印を押せとは・・・)
ふつふつと湯が滾るような悔しさが身を震わせた。
(絶対に独立を勝ち取ってやる)ワシントンに到着するとすぐ次郎は池田たちと別行動をとった。池田のほうはさっそく国務省と接触している。本当はディーン・アチソン国務長官かジョン・フォスター・ダレス国務省顧問と会いたかったのだが、どちらともうまく会うことができなかったため、しかたなく陸軍省顧問であったドッジと会うことにした。
そして彼を相手に、日本としては早期講和を望んでいること、ソ連がアメリカよりも先に講和を申し出てくる可能性なきにしもあらずだということ、早期に日本が独立できれなければ政情不安が起こる可能性があることを切々と説いた。
吉田は早期独立のためならば”米軍基地存続を認めてもいい”という、アメリカを講和に踏み切らせるための切り札を、池田に持たせていた。ソ連の行為への対処を迫られていた米国にとって、これは願ってもない申し出であった。
会談後、池田と宮澤はホテル・ワシントンに戻ってきた。日本酒の四合びんと福神漬けを日本から持参していた宮澤は、洗面器にお湯を張って燗をし、福神漬けをつまみにコップ酒をあおった。池田は広島の造り酒屋の出たということもあって避けはめっぽう強い。だがそのせいではなく、緊張のためにいくら飲んでも酔わなかった。
一方の次郎はというと、彼が一泊七ドルの部屋に泊まろうはずもない。英国時代の友人の屋敷を泊まり歩き、日中も池田・ドッジ会談には同席せずに単独行動をとっていた。宮澤は、―――このとき次郎が何をしていたかまったく知らなかったし、全然仕事しているという感じはなかった。
と証言している。だが次郎は、宮澤たちの知らないところで重要な会談をしていたのだ。
(吉田の懐刀である白洲次郎こそ吉田の本音を知る鍵ではないか)そう睨んでいた国務省は、むこうのほうからアプローチしてきた。相手は、対日講和担当のバターワース国務次官補。次郎を自宅の昼食に招き、極めてシリアスな意見交換をしている。
(中略)「では、これは極秘ということで聞いてほしい」
そう前置きした上で、次郎は次のように話し始めた。
「日本は地理的にソ連に近いし、中立などという立場をとったらすぐ共産日本になってしまうだろう。だから中立は問題外だ。もちろん、日本経済の弱体ぶりと新憲法による制約と過去の苦い経験から再軍備もできない。日本は国家として戦争を放棄したのだから、日米協定で米軍基地を日本に残して戦争に備えるというのも憲法上、むずかしいはずだ。この袋小路を突破するいちばんいい方法は、アメリカが日本の占領を終了すると宣言して、軍事面以外の内政と外交権を日本政府に完全に返還する一方で、いざと言う場合の軍事行動の自由を保持すると言う方法だ」米軍基地を残してでも独立の早期実現を目指した吉田に対し、次郎は筋論として、基地もなく沖縄なども返還された形での独立を目指すことはできないかと考えたのだ。
(中略)結局、アメリカは吉田の提案に乗り、日本からの依頼に基づいて日米安保条約を結ぶ一方、ソ連など一部の国を除くかたちで講和条約を結ぶこととなった。
だがもし米国が次郎の案を採用していたとしたら、わが国は米軍基地抜きの独立を実現できたに違いない。それが日本にとって吉と出たか凶と出たかはわからないものの、日本国民が今と違って独立自尊の精神に富んでいたのではないかと想像するのである。
(中略)昭和二五年六月二一日、ダレス国務省顧問が初来日し、吉田首相との会談の冒頭いきなり、
「日本が講和を結んで独立国家になるというのなら、われわれとしても日本の再軍備を認めてあげましょう。いやむしろぜひ再軍備してもらいたいと願っている」
と単刀直入に再軍備要求をつきつけてきた。独立国として軍隊まで持っていいという勘だな申し出を、まさか吉田が断ってくるとは思っていなかったので根回しもせずいきなり持ち出しのだろうが、吉田は、
「いえ、われわれは憲法で軍隊はもてないことになっていますので」
と即座に拒否した。
「それは閣下の本心かね?」
「もちろん」この吉田の反応はダレスにとって予想外のものだった。会談が終わってから側近に、
(中略)
「”不思議の国のアリス”になった気がする」
と漏らしている。だが、この吉田・ダレス会談の直後に朝鮮戦争が勃発したことで情勢は急展開していく。吉田は次郎を米国に派遣してダレスと会談させた。ダレスは思ったとおり警察予備隊を増強するよう圧力をかけてきたのだが、次郎は”ふざけるな!”といわんばかりにつっぱねた。
「それなら国民を再教育しないさいよ!GHQ民生局、すなわちあんたがたアメリカ人が、”戦争は悪だ”、”今度の憲法では戦力を放棄したんだから軍隊はもってはならないんだ”と日本国民を教育したんじゃないですか。いまさら手のひらを返して軍備増強しろとはよくもまあ言えますね」
「そこを何とかするのが君たちの役目だろう。いつまでもわれわれが占領したままでいいというのかね?独立を取り戻したいんだろう。私は君と議論しようと言っているんじゃないんだ。こうやれと命じているんだ」ダレスは真っ赤になって怒り出し、最後には本音も飛び出してきた。
(中略)
「何とかしろなんて無責任なこと言われても責任はもてませんよ。今度政府が国民の信用を失ったら日本は赤化しますよ。それでもいいんですか!」しばらくしてトルーマン大統領は再びダレスを特使として日本へ派遣するが、その少し前、先に来日していたダレスの秘書官ロバート・A・フィアリーと次郎は対談を行っている。フィアリーはグルー駐日大使の秘書をしていたので次郎とは旧知の仲。次郎は彼を相手に大演説をぶった。
「沖縄と小笠原両島をアメリカが領有するなどというのはどんだ過ちだ!講和条約を結んだってそんなことをしたら何もならない。そんなことをしたら、将来にわたって日本はアメリカに対して恨みを持ち続けるだろう。それもいいのか!」米国の高官に対し領土問題を正面から話題にしたという意味で、この次郎の発言は歴史的にたいへん意味のある発言である。
次郎の言うことに一点の曇りもない。フィアリーは立場上なんとも言えなかったが、
「貴公の意見は本国に持ち帰って報告しよう」と約束した。次郎は最後に念を押すようにしてこう言った。
「繰り返すようだが、もしこれらの領土が返ってこなかったら、私自身や高等教育を受けた人間だけではない、日本人は一丸となって米国を敵対視することになる。これだけは覚えておいてくれ」フェアリーは黙ってうなずいた。昭和二六年一月二三日のことであった。
『白洲次郎 占領を背負った男 講和と独立(P.302-P.314)』
続きは「昭和の日」へ。
この話の前段には、GHQ民生局との憲法を巡る攻防があります。それがあったからこそ白洲次郎の「それなら国民を再教育しないさいよ!GHQ民生局、すなわちあんたがたアメリカ人が、”戦争は悪だ”、”今度の憲法では戦力を放棄したんだから軍隊はもってはならないんだ”と日本国民を教育したんじゃないですか。いまさら手のひらを返して軍備増強しろとはよくもまあ言えますね」のセリフがあるわけです。
以下、吉田茂のインタビュー映像より。
進駐政策は、グッドインテンション、バット プアーポリシーだ。アメリカ人は、やや善意の悪政というそしりを免れないと思う
まことに親切で日本を復興してやろう、敗戦国を盛り立ててやろうと、決してわたくしの私利私欲からでたわけでないのですがね
だから、インテンション(意向)はいいんだが、やり方がアメリカ一流の日本の国情ないし日本の歴史を無視したアメリカ一方の考えで進駐政策をやったと思う
上は皇室組織からして、教育組織、警察組織すべての点に、ことに地方行政のごときは根底からひっくり返したのは進駐軍です。進駐政策に脱帽である。おかげさまで弱っているのだから。
これは日本が自ら改正すべきことであり手直しすべきものだと思う。
ニコニコ動画「吉田茂」
アメリカのイラクでの占領政策がうまくいっていない理由の一つに「自身のプロパガンダを自身で信じてしまったため」などと言われていたりしていますね。





http://www.nzz.ch/2007/05/05/eng/article7787096.html
アムネスティ(スイス)がオリンピック前に人権問題の改善を求める嘆願書の署名運動を始めました。
オンラインでも署名できます。Ja!
Peking 2008 - Menschenrechte aufs Podest ― Amnesty Schweiz
http://www.amnesty.ch/de/aktiv/online-aktionen/peking-08
ドイツ語、読めねーーwwwですが、右にあChina-Petition (112 KB) っぅPDFに中国語の温家宝あてのお手紙があります。タソガレさんなら読めそう。まぁ冒頭の英語記事ママな感じな漢字が並んでますので、想像つきますが。
Ich unterstützeっぅところから下が記入欄。記入方法は、イザ!にでもエントリたてます。(`・ω・´)