平和に対する罪のその後

2005年08月19日

秘録 東京裁判ニュルンベルクと東京で事後法とは言え、戦勝国により平和に対する罪と人道に対する罪により処罰されたという判例が生まれました。その後、この判例を国際社会に持ち出した国があります。ベトナムです。

ベトナムのホーチミンは、捕虜の取り扱いを定めたジュネーブ条約に署名しましたが、平和に対する罪と人道に対する罪を犯した国に対しては、この条約の保護を受けないという宣言を行いました。これはベトナムに介入してきたアメリカをこの罪を犯したとし、その捕虜はジュネーブ条約による保護を保障しないことを意味していました。

秘録 東京裁判』に、このことに関する記述があるので、引用しておきます。

一方、東京裁判が済んでからのち、一九四九年に、ジュネーブで戦犯の取り扱いに関する大きな条約が成立した(これはジュネーブ条約と略称されるが、一九五四年にインドシナの紛争を解決する目的でつくられたジュネーブ条約とは別もの)。この条約は、過般の世界戦争の経験にもとづき、俘虜の待遇をきめたもので、相手方の手に捕らわれた俘虜に対しては暴力行為、脅迫、侮辱、公衆の好奇心から保護されなければならぬといった、詳細な規定が設けられている。そして、世界の多数の国家がこれに参加した。一九五七年六月に至り、北ベトナムもこの条約に参加したのであるが、その時、北ベトナムは、多くの共産主義国も同様であるが、一つの保留条件をつけた。保留条件というのは
北ベトナム人民共和国はニュルンベルク裁判の諸原則に従い、戦争犯罪あるいは人間性に対する罪に問われた捕虜は、同条約の保護を受けないことを宣言する
というものである。すなわち、北ベトナム政府は、ニュルンベルク裁判や東京裁判において、平和に対する罪、人道に対する罪というものを戦争犯罪として処罰したことを前例とし、この犯罪を犯したものは、ジュネーブ条約の俘虜待遇を与えないということを条約に参加する最初から宣言し、こんにちでもその原則を守っているわけである。ホ・チ・ミン政府、または同国の外国に駐在する大使が発表しているところは、この趣旨である

アメリカは一九五四年のジュネーブ条約を無視し、ベトナムに対して進撃した。彼らには侵略戦争を為した責任がある。その一番の責任はジョンソン大統領であり、今回北ベトナムに捕らえられた多数の飛行士も、またこれに参加した罪を犯している。これらの人には、北ベトナム政府は自発的に人道的な保護を与えるけれども、一九四九年の俘虜に関する条約にもとづいての保護は与えない」というのが、ホ・チ・ミンの言い分であって、一応、筋は通っている。それというのも、従来の国際法において罪と認められなかったものを、ニュルンベルク裁判、東京裁判においてあえて犯罪として処罰した前例を逆用しているのである。

北ベトナム政府は、一九六五年七月二十二日に同国の公衆衛生大臣ほか十一名による「ベトナムにおけるアメリカ帝国主義者の犯罪調査委員会」なるものを設け、国内各村落にわたって"米帝国主義者がベトナム人民に対して行った最も野蛮な仕打ち"を調査せしめることとした。これを調査しあげて、別に法廷をつくるか、ベトナムの通常の法廷で裁判を行うというのである。

だれかが、二十年前、連合国側は後悔することが起こるに相違ない、といったことを思い出す。

秘録 東京裁判(p.41-p.42)』

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posted by タソガレ at 20:54 | Comment(0) | TrackBack(1) | 靖国問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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